迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

四國のドイツ國。

2019-01-12 18:39:35 | 浮世見聞記
渋谷Bunkamuraで今日から開催の、『「板東俘虜収容所」の世界展』を見る。


大正3年(1914年)の第一次大戦で敗戦國となったドイツの兵士のうち約1000人は、大正6年(1917年)に徳島県板野郡板東町(当時)に設置された「板東俘虜収容所」に、捕虜として収容される。

しかし、所長となった松江豊壽大佐の、ドイツ兵たちの人権を尊重する人道的方針、そしてドイツ兵たち自身の努力により、収容所内では音楽、演劇、スポーツ、出版などの文化が花開き、そして地元の日本人とも交流を深めていく──

日本で初めてベートーヴェンの「第九」が演奏されたのもこの時で、その実話は十年ほど前であったか、松平健が松江大佐役を主演した映画「バルトの楽園」を観て、私も知った。


今回の展覧会では、当時ほぼ毎週開かれてゐた音楽会のプログラムや、絵葉書も展示されてゐるが、


※パンフレットより

これらは全て、ドイツ兵たちが収容所内に設立した印刷所で製作したものだ。


※パンフレットより

その絵柄の美しさや完成度の高さは、100年以上が経った現在でも輝きを失っていない。

むしろ、これだけの高度な藝術が捕虜収容所で生み出されてゐた事実に、私は“人の心のあり方”につひて、深ひ反省を促されるものがあった。


所長の松江大佐は、かつて戊辰戦争で悲劇に遭遇した会津の出身であることが、収容所における人道的方針に関係してゐると考へられてゐる、と云ふ。


さうである。

敗戦國の捕虜たちは、囚人ではない。  

たまたま戦争に負けた國の人、といふだけに過ぎず、彼らは犯罪をおかしたのとは違ふ。

兵士たち一人一人は、その國ではそれぞれに職業を持つ一般人である。

それぞれに文化や技術を持った、“人間”なのである!



報道屋は、権力者に都合の良ゐ情報しか我々に公表しない。

それは、いまも昔も変はらない。

むしろ、真実を編集し、または隠蔽することが、かれらの本業と心得るべきだ。


私はかつて、英國と仏國にそれぞれ半月ほど滞在したとき、

「英國人も仏國人も、しょせん日本人と同じ、人間ではないか」

と、ごく當然のことに気が付ひた記憶がある。


國と外見が異なるだけで、

あとはすべて、

同じ人間。

だからなにも萎縮することは無い──と。


報道屋の作り話だけでは、

浮世の真実は見へて来ない。

むしろ、眩まされる恐れがある。


自分の目と、自分の足をもって出逢った光景こそが、世界の真実なのだ。


100年以上昔の写真のなかから、

穏やかな瞳(め)でこちらに笑ひかけてゐるドイツ人たちは、


※パンフレットより

本當の平和とはなにかを、

いまも私たちに教へてくれてゐる。



政治だけで、

國と國、

人と人は、

交流してゐるのではない。



この「板東俘虜収容所関係資料」は現在、ユネスコの記憶遺産への登録実現に取り組んでゐると云ふ。

私も大賛成だ。

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