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渋谷Bunkamuraで今日から開催の、『「板東俘虜収容所」の世界展』を見る。
大正3年(1914年)の第一次大戦で敗戦國となったドイツの兵士のうち約1000人は、大正6年(1917年)に徳島県板野郡板東町(当時)に設置された「板東俘虜収容所」に、捕虜として収容される。
しかし、所長となった松江豊壽大佐の、ドイツ兵たちの人権を尊重する人道的方針、そしてドイツ兵たち自身の努力により、収容所内では音楽、演劇、スポーツ、出版などの文化が花開き、そして地元の日本人とも交流を深めていく──
日本で初めてベートーヴェンの「第九」が演奏されたのもこの時で、その実話は十年ほど前であったか、松平健が松江大佐役を主演した映画「バルトの楽園」を観て、私も知った。
今回の展覧会では、当時ほぼ毎週開かれてゐた音楽会のプログラムや、絵葉書も展示されてゐるが、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/14/631801e3115ae96ca32f6b039585abd4.jpg)
※パンフレットより
これらは全て、ドイツ兵たちが収容所内に設立した印刷所で製作したものだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/5a/bf0b68e08e7c33068bc607e39d2231c6.jpg)
※パンフレットより
その絵柄の美しさや完成度の高さは、100年以上が経った現在でも輝きを失っていない。
むしろ、これだけの高度な藝術が捕虜収容所で生み出されてゐた事実に、私は“人の心のあり方”につひて、深ひ反省を促されるものがあった。
所長の松江大佐は、かつて戊辰戦争で悲劇に遭遇した会津の出身であることが、収容所における人道的方針に関係してゐると考へられてゐる、と云ふ。
さうである。
敗戦國の捕虜たちは、囚人ではない。
たまたま戦争に負けた國の人、といふだけに過ぎず、彼らは犯罪をおかしたのとは違ふ。
兵士たち一人一人は、その國ではそれぞれに職業を持つ一般人である。
それぞれに文化や技術を持った、“人間”なのである!
報道屋は、権力者に都合の良ゐ情報しか我々に公表しない。
それは、いまも昔も変はらない。
むしろ、真実を編集し、または隠蔽することが、かれらの本業と心得るべきだ。
私はかつて、英國と仏國にそれぞれ半月ほど滞在したとき、
「英國人も仏國人も、しょせん日本人と同じ、人間ではないか」
と、ごく當然のことに気が付ひた記憶がある。
國と外見が異なるだけで、
あとはすべて、
同じ人間。
だからなにも萎縮することは無い──と。
報道屋の作り話だけでは、
浮世の真実は見へて来ない。
むしろ、眩まされる恐れがある。
自分の目と、自分の足をもって出逢った光景こそが、世界の真実なのだ。
100年以上昔の写真のなかから、
穏やかな瞳(め)でこちらに笑ひかけてゐるドイツ人たちは、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/42/58ff8465f3fea4b39f1d6da7e0ee6baf.jpg)
※パンフレットより
本當の平和とはなにかを、
いまも私たちに教へてくれてゐる。
政治だけで、
國と國、
人と人は、
交流してゐるのではない。
この「板東俘虜収容所関係資料」は現在、ユネスコの記憶遺産への登録実現に取り組んでゐると云ふ。
私も大賛成だ。
大正3年(1914年)の第一次大戦で敗戦國となったドイツの兵士のうち約1000人は、大正6年(1917年)に徳島県板野郡板東町(当時)に設置された「板東俘虜収容所」に、捕虜として収容される。
しかし、所長となった松江豊壽大佐の、ドイツ兵たちの人権を尊重する人道的方針、そしてドイツ兵たち自身の努力により、収容所内では音楽、演劇、スポーツ、出版などの文化が花開き、そして地元の日本人とも交流を深めていく──
日本で初めてベートーヴェンの「第九」が演奏されたのもこの時で、その実話は十年ほど前であったか、松平健が松江大佐役を主演した映画「バルトの楽園」を観て、私も知った。
今回の展覧会では、当時ほぼ毎週開かれてゐた音楽会のプログラムや、絵葉書も展示されてゐるが、
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※パンフレットより
これらは全て、ドイツ兵たちが収容所内に設立した印刷所で製作したものだ。
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※パンフレットより
その絵柄の美しさや完成度の高さは、100年以上が経った現在でも輝きを失っていない。
むしろ、これだけの高度な藝術が捕虜収容所で生み出されてゐた事実に、私は“人の心のあり方”につひて、深ひ反省を促されるものがあった。
所長の松江大佐は、かつて戊辰戦争で悲劇に遭遇した会津の出身であることが、収容所における人道的方針に関係してゐると考へられてゐる、と云ふ。
さうである。
敗戦國の捕虜たちは、囚人ではない。
たまたま戦争に負けた國の人、といふだけに過ぎず、彼らは犯罪をおかしたのとは違ふ。
兵士たち一人一人は、その國ではそれぞれに職業を持つ一般人である。
それぞれに文化や技術を持った、“人間”なのである!
報道屋は、権力者に都合の良ゐ情報しか我々に公表しない。
それは、いまも昔も変はらない。
むしろ、真実を編集し、または隠蔽することが、かれらの本業と心得るべきだ。
私はかつて、英國と仏國にそれぞれ半月ほど滞在したとき、
「英國人も仏國人も、しょせん日本人と同じ、人間ではないか」
と、ごく當然のことに気が付ひた記憶がある。
國と外見が異なるだけで、
あとはすべて、
同じ人間。
だからなにも萎縮することは無い──と。
報道屋の作り話だけでは、
浮世の真実は見へて来ない。
むしろ、眩まされる恐れがある。
自分の目と、自分の足をもって出逢った光景こそが、世界の真実なのだ。
100年以上昔の写真のなかから、
穏やかな瞳(め)でこちらに笑ひかけてゐるドイツ人たちは、
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※パンフレットより
本當の平和とはなにかを、
いまも私たちに教へてくれてゐる。
政治だけで、
國と國、
人と人は、
交流してゐるのではない。
この「板東俘虜収容所関係資料」は現在、ユネスコの記憶遺産への登録実現に取り組んでゐると云ふ。
私も大賛成だ。