迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ひとはもうしゅうそのものなり。

2013-03-10 19:53:44 | 浮世見聞記
国立能楽堂で、金春流の「阿漕」を観る。

禁漁区での密漁が発覚して沖に沈められた漁師が、亡霊となって旅僧の前に現れて、救いを求める物語。


業の強さは心の弱さと表裏一体なのだということを、八人の地謡方が凄まじいまでの迫力で、観る者たちへ訴えかけてくる。


人間は、この世にいても、あの世にいても、常に救いを求めている。

そのような願いが、すでに我欲なのではないか―その声が謡いから聞こえた時、わたしは亡霊が揚幕の内へ消えたのちも、しばらくはそこから動くことが出来なかった。
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