迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊──東海道48 小田原宿

2019-10-10 07:27:00 | 旧東海道
三枚橋を渡って突き当たりを右折すると、箱根登山鉄道線に沿って国道1号線を十分ほど進み、箱根新道の山崎ICあたりで左に分かれるのが旧道。



五分ほどで一度国道に合流してから再び分岐、箱根登山鉄道線の踏切りを渡り、




「入生田駅」を右手に過ぎて、山裾伝いの道を進みます。


十分ほど行った風祭地区の道沿いには往年の杉並木と思しき杉が並んでいますが、




道路側の幹や枝がきれいさっぱり払われたその姿は、現代アートのような不思議な感じを与えます。


風祭地区の東の外れで再び箱根登山鉄道線の踏切を渡って国道1号線に合流、行く手かなたに海を望みながら、




板橋地区の旧道まで国道の歩道を、八分ほど歩いて行きます。

小田原宿も間近の板橋地区まで来ると、



明治三十六年に建てられた老朽化が目に付く黒壁の洋館や、百年の歴史に幕を下ろそうとしている豆腐店など、いかにも旧道らしい風情が見られるようになります。

そして、西の見附である板橋見附の近くにある古い畳店の軒が、由井宿近くで見たものと同じ「せがい造り」であることを発見、



今回の探訪で得た知識がさっそく活きて、嬉しくなりました。


そして板橋見附を左折して、箱根宿から四里八町(16.6㎞)の小田原宿へと入ります。



↑写真の奥に見える城のような建物は、「外郎(ういらう)」の本店。

小田原といえば城、かまぼこ、提灯、様々あれど、私にとっては「外郎(ういらう)」であります。



現在「ういらう」と云うと、和菓子のそれを思い浮かべるのが普通のようですが、そもそもは室町時代に唐から帰化した外郎氏が精製した万能薬「透頂香」のことです。

その万能薬の行商人に化けた曾我五郎が、工藤祐経の屋敷に入り込んでまずは早口で売口上述べる歌舞伎芝居が、二代目市川團十郎自作自演の「外郎賣」。

のちに子孫の七代目がお家芸──「歌舞伎十八番」──のひとつに加えました。

二代目團十郎が自作した早口の売口上は、現在では役者を志す者たちの習得必須科目であり、私も国立劇場で伝統芸能の基礎を学んでいた当時、元NHKアナウンサーを講師に取り組んだものでした。

ところがそのうちに、自分もこの万能薬「透頂香」が欲しくなり、実際に小田原の本店へ出かけました。

当時はまだ現在のような小田原城の二番煎じのような建物ではなく、古い薬局然とした建物で、私が透頂香を求めようとすると、「原料の生薬が入手困難になっているため僅かな量しか作れず、興味本位の“一見さん”にはお売り出来ません」と、応対に出た女性にニベもなく断られてしまいました。

しかしこのとき、一緒について来てくれた当時の同僚が、まさに言葉巧みな機転を利かせてくれたおかげで、貴重な透頂香を手に入れることが出来ました。

値段はもう覚えていませんが、これがそのときの透頂香、



薬の袋自体は、今も未開封です。
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