梅雨明け早々の暑さがいかに連日酷いものであるかを示すが如く、午前中にご近所の庭の百日紅が一部枯れ始めてゐるのを見て、今日は城に一日籠もってゐやうと即決する。
酷いと云へば、露國の茶番大運動會出場予定者が、選手ムラの部屋の設備を「中世」並みに酷いと、映像付きで暴露云々。
テレビが無い、冷蔵庫が無い、洗濯機が無い、トイレは共同、インターネット環境は劣惡、風呂場は狭小、且つシャワーが出ない、冷房のリモコンは日本語表記で讀めない──
吉幾三の「俺ら東京さ行くだ」を久しぶりに聴きたくなるほどの酷さに、笑ひが込み上げてくる。
これでは木賃宿以下だ。
そして、日本の中世はもっと文化的だった──と習ってゐる──と、反論したくなる。(※電器製品につひては別途注文による有料貸与であり、露國側がその發注をしなかったためと判明。 7月22日追記)
つひでに、自慢の段ボール製寝台は強度が弱いとかで、忘異國の報道屋がさかんに揶揄してゐるやうだが、“一人で静かに寝る”だけならば充分に造られてゐるそれに、一体ナニを求めて騒ひでゐるのかと不審に思ふ。
が、路上生活者の“段ボール家屋”以下のしろものであることは、確かのやうだ。
そして、佛人報道屋が「ゴム肉」と揶揄した¥1600もする報道屋向けの食事の酷さに至って、私はつひに堪へきれず爆笑する。
これぞ、
“他人から見た喜劇は、本人には悲劇である”──
を地で行く有り様だ。
實際、噺もここまで堕ちると、むしろ喜劇である。
そしてこれらは、開催國としての立場上「帰れ」とは云へないので、“おもてなし”によって暗にお引き取りを願ってゐるのではないか、と勘繰ってみたくなる。
挙げ句に人災疫病に感染しても、止せばいいのに勝手に来た連中なのだから、私は迷惑には思へど、決して同情はしない。
まったく、これほどまで樂しい知らせをもたらされては、茶番劇大運動會は徹底して無視するとの私の決心が揺らいでしまふと云ふものだ。
結局いまは、涼しい部屋でのんびり過ごしてゐるのがお利口サンのやうだ……。