dmenuニュースより
http://topics.smt.docomo.ne.jp/article/jisin/entertainment/jisin-https_jisin.jp_p_2169892?fm=d
昨年十二月の襲名興行中の二十二日、昼の部の樂屋入りに遅れた中村歌昇氏を「教育」のため三日間の出禁処分云々──
いかにも一般大衆誌らしい、記事にするのもバカバカしいネタですが、しかし暇つぶしに云々するのには、丁度よい噺ではあります。
たしかに、遅刻はいけません。
これが學校ならば、當人がゐなくても無視して授業は進行出来ますが、オトナの社會では一人の欠員が大勢に迷惑をかける仕組みとなってゐるわけですから──ましてや人手不足の當今においてをや!──、出禁処分と云ふお灸はチト厳しいかなとは思ひつつ、まぁアリかな、とも思ひます。
が、それを十三代目市川團十郎白猿氏がやると、どうも独り善がりな正義を振りかざしてゐるにすぎない、白々しいもの感じてしまふのであります。
白々しいボス猿で“白猿”かと、下らない皮肉はさておき、もとより人望も政治力も無い御仁が、五代目市川三升(十代目團十郎)をもって終焉した昔日の權威に幻影を求めて迷走する様は、さうして自爆死した祖父十一代目をいよいよ彷彿とさせ、
人は人の惡いところばかりを真似たがるものと、自身とも重ね合わせてしみじみするのであります。
もし本當にリエンと云ふ小さなお山の大将に登り詰めたいのならば、それにすら登頂できなかった祖父よりも、圧倒的な政治力で結果的に対峙し、“女帝”の稱號をもって君臨した六代目中村歌右衞門に學んだはうが宜しいのではありますまいか。