浮世は日常の回復へと歩を進め、私も物見をしながらその方策を練る。
しかし、支那病菌はまだ時期尚早と嘲笑ふが如く、病院以外での集團感染など、依然として猛威を保ったままだ。
戯場など娯楽業の再開は、収束(終息)が最終段階に入ってからの話しだらう。
さりながら、自分までが手持ち無沙汰でゐることはない。
外で三味線の聲を聴けないのなら、自分で部屋のなかでそれらしい音を出して樂しまう──
と、三味線を引っ張り出す。
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習った曲よりも、聴き覺えて資料を求めた曲のはうが、よく記憶してゐるのは皮肉だ。
藝事といふやつは、
いろいろな意味で、
“相性”がものを言ふ。
しょせんは“樂しみ”。
なればこそ、樂しいと感じるくらゐのところでとどめておくはうが、長續きするといふものだ。