宮嶋翔が出演するはずだったミュージカルは、主演女優が麻薬所持の現行犯で逮捕されたために公演中止、という何ともお粗末な結果で、幕を下ろした。
翔が初顔合わせの時に感じた「イヤ~な空気」は、もしかしたらクスリのせいか?
なんであれ、我が親友は間一髪のところで、キケンな連中との係わり合いを逃れたわけだ。
山内晴哉流に言えば、“運”が良かったからか?
宮嶋翔が初日前に降板したことについて、一部では事件との関連性をウワサする連中もいたみたいだけれど、
「質問されたら、『ノドに効くクスリは持ってました』って答えてやろうかな」
とブラックなことを言って、二人で大笑いした。
そんな根も葉も無いウワサをカキコミするサイトに、“cinnamon”も参加していることを、僕はちゃんと確かめている。
馬川朋美とは、結局自然消滅した。
だから実際は分からないけれど、彼女はたぶん、イケメン系アーティストの“追っかけ”の類いだったのではないだろうか。
翔に関するサイトにも、かつての“HARUYA”に関するサイトにも、“cinnamon”のカキコミが散見し、しかも時折「吹いた」と云う独特な表現を用いているのが証拠だ。
これも僕の予測だけれど、彼女が近江章彦に接近してきたのは、宮嶋翔が公式ブログに僕の作品を見に行った事をアップしているのを見て、コイツと知り合っておけば、宮嶋翔について公式情報以外の何かを知ることが出来るかもしれないし、上手くいけば本人にだって会えるかも…、みたいな、下心があった可能性はある。
そう推理すると、山内晴哉が名刺の裏に走り書きした、
“あの女あんたのこと見てない”
の真意も、なんとなく見えてくるんだ。
彼女から届いた最後のメールは、
『近江さんが展覧会に作品を出展される時は、また知らせて下さいネ』
もちろん、お知らせメールはしていない。
僕は、大和絵と云う先祖の遺産を、何よりも人に見てもらうために勉強し、描いている。
見ない人には、来てなんかほしくない。
いやなこった。
―と、今度のお話はここでお終いにしても、充分に成立すると思う。
でも、後日談がある。
実際には“後日”どころか、それから五年もたってからの話しだけれど。
二十代後半に入っても、僕を取り巻く環境に、殆ど変化はなかった。
“現代の大和絵師”の地位確立からは程遠い、相変わらずアルバイトで生計を立てる日々…。
おかげさまで、五年の間にアルバイト経験だけは豊富になった。
色々やりましたよ、本当に。
それについていちいち挙げていったらキリがないし、このお話しには直接関係ないから省くけど。
そんななか、いつの間にか生活費を得ることが現実的な最優先課題となってきて、絵筆をとることがだんだんと疎かになっていった。
たぶん、僕はこうやって“志望”のままで終わると云う、世の中の圧倒的大多数と同じ運命を辿っていくことになるんだな―
そんなことを考えていた。
僕はプロフェッショナルの世界には生きられないだろう―
二十代の初めには無かった、そんな僻みにも似た根性が芽生えるようになって、それからは美術館からも次第に足が遠退くようになって、気が付けばその時間を全て、アルバイトに充てるようになっていた。
そのくせ連日働くのは億劫で、働きたい時にだけ働いてその日のうちに給料が貰える、日雇い(スポット)の人材派遣アルバイトに登録して、事実上のその日暮らし。
一日の“仕事”を終えて、帰りの路線バスの窓から都会の光りを疲れた目で眺めながら、
『僕はこのまま、どこまで漂流(なが)されて行くのだろう…』
などと考えたり…。
まさに、人が夢を失っていく典型的コース。
そんななか、何の因果か僕は五年ぶりに、かつて山内晴哉と出会ったあのドラッグストアの物流倉庫へ、一日だけハケンされることになった。
五年ぶりだな…。
当時の感傷には浸らないつもりで来たけれど、なんと言っても色々と思い出のある現場だ。
倉庫の正面入口に立った時、夢と希望に胸を膨らませて生活しながらここを通っていたことを、思い出さずにはいられなかった。
でも、そんなちっぽけな個人の感傷など、現実は無情に吹き飛ばす。
五年ぶりにやって来た現場は、仕事の手順そのものは全く変わっていなかったけれど、空気は全く変わっていた。
全く別のものになっていた。
当然ながら、五年前にいた人たちは、全ていなくなっていた。
その後入って来た人々によって、その人たちなりの世界が形成されていて、それは、以前の雰囲気を知っている僕には、あまり馴染めるような空気ではなかった。
倉庫が雇っているバイト従業員たちの間には細かな“派閥”があって、しかもお互いに、仲が良くないらしかった。
それは、倉庫の社員たちも同様で、もしかしたらそれがバイト達にも伝播したのかもしれない。
ヨコの連絡が殆ど不通であるために、「そんな話しオレは聞いてない!」などと社員同士で火花が散って業務が一時的に停滞するシーンが何度かあって、たった一日なのに、さすがに僕もウンザリした。
こんなところから山内晴哉と出会った時の面影を探すなど、野暮すぎることだった。
かつてと同じ現場で、かつてと同じ仕事でも、従業員(ひと)が変わるとこうも雰囲気が変わるものか、まるで初めて来た現場のようなだったな…。
そんな愕然した気分で、帰宅。
「もう二度と、あそこには行くまい…」
BGM代わりにつけたテレビを見るともなしに見ながら晩飯を食べ終えると、疲れから眠気が一気に襲ってきて、僕はそのまま畳に寝そべった。
ああ今ここで寝てしまっては後で眠れなくなるなぁ、と思っているうちに…。
〈続〉
翔が初顔合わせの時に感じた「イヤ~な空気」は、もしかしたらクスリのせいか?
なんであれ、我が親友は間一髪のところで、キケンな連中との係わり合いを逃れたわけだ。
山内晴哉流に言えば、“運”が良かったからか?
宮嶋翔が初日前に降板したことについて、一部では事件との関連性をウワサする連中もいたみたいだけれど、
「質問されたら、『ノドに効くクスリは持ってました』って答えてやろうかな」
とブラックなことを言って、二人で大笑いした。
そんな根も葉も無いウワサをカキコミするサイトに、“cinnamon”も参加していることを、僕はちゃんと確かめている。
馬川朋美とは、結局自然消滅した。
だから実際は分からないけれど、彼女はたぶん、イケメン系アーティストの“追っかけ”の類いだったのではないだろうか。
翔に関するサイトにも、かつての“HARUYA”に関するサイトにも、“cinnamon”のカキコミが散見し、しかも時折「吹いた」と云う独特な表現を用いているのが証拠だ。
これも僕の予測だけれど、彼女が近江章彦に接近してきたのは、宮嶋翔が公式ブログに僕の作品を見に行った事をアップしているのを見て、コイツと知り合っておけば、宮嶋翔について公式情報以外の何かを知ることが出来るかもしれないし、上手くいけば本人にだって会えるかも…、みたいな、下心があった可能性はある。
そう推理すると、山内晴哉が名刺の裏に走り書きした、
“あの女あんたのこと見てない”
の真意も、なんとなく見えてくるんだ。
彼女から届いた最後のメールは、
『近江さんが展覧会に作品を出展される時は、また知らせて下さいネ』
もちろん、お知らせメールはしていない。
僕は、大和絵と云う先祖の遺産を、何よりも人に見てもらうために勉強し、描いている。
見ない人には、来てなんかほしくない。
いやなこった。
―と、今度のお話はここでお終いにしても、充分に成立すると思う。
でも、後日談がある。
実際には“後日”どころか、それから五年もたってからの話しだけれど。
二十代後半に入っても、僕を取り巻く環境に、殆ど変化はなかった。
“現代の大和絵師”の地位確立からは程遠い、相変わらずアルバイトで生計を立てる日々…。
おかげさまで、五年の間にアルバイト経験だけは豊富になった。
色々やりましたよ、本当に。
それについていちいち挙げていったらキリがないし、このお話しには直接関係ないから省くけど。
そんななか、いつの間にか生活費を得ることが現実的な最優先課題となってきて、絵筆をとることがだんだんと疎かになっていった。
たぶん、僕はこうやって“志望”のままで終わると云う、世の中の圧倒的大多数と同じ運命を辿っていくことになるんだな―
そんなことを考えていた。
僕はプロフェッショナルの世界には生きられないだろう―
二十代の初めには無かった、そんな僻みにも似た根性が芽生えるようになって、それからは美術館からも次第に足が遠退くようになって、気が付けばその時間を全て、アルバイトに充てるようになっていた。
そのくせ連日働くのは億劫で、働きたい時にだけ働いてその日のうちに給料が貰える、日雇い(スポット)の人材派遣アルバイトに登録して、事実上のその日暮らし。
一日の“仕事”を終えて、帰りの路線バスの窓から都会の光りを疲れた目で眺めながら、
『僕はこのまま、どこまで漂流(なが)されて行くのだろう…』
などと考えたり…。
まさに、人が夢を失っていく典型的コース。
そんななか、何の因果か僕は五年ぶりに、かつて山内晴哉と出会ったあのドラッグストアの物流倉庫へ、一日だけハケンされることになった。
五年ぶりだな…。
当時の感傷には浸らないつもりで来たけれど、なんと言っても色々と思い出のある現場だ。
倉庫の正面入口に立った時、夢と希望に胸を膨らませて生活しながらここを通っていたことを、思い出さずにはいられなかった。
でも、そんなちっぽけな個人の感傷など、現実は無情に吹き飛ばす。
五年ぶりにやって来た現場は、仕事の手順そのものは全く変わっていなかったけれど、空気は全く変わっていた。
全く別のものになっていた。
当然ながら、五年前にいた人たちは、全ていなくなっていた。
その後入って来た人々によって、その人たちなりの世界が形成されていて、それは、以前の雰囲気を知っている僕には、あまり馴染めるような空気ではなかった。
倉庫が雇っているバイト従業員たちの間には細かな“派閥”があって、しかもお互いに、仲が良くないらしかった。
それは、倉庫の社員たちも同様で、もしかしたらそれがバイト達にも伝播したのかもしれない。
ヨコの連絡が殆ど不通であるために、「そんな話しオレは聞いてない!」などと社員同士で火花が散って業務が一時的に停滞するシーンが何度かあって、たった一日なのに、さすがに僕もウンザリした。
こんなところから山内晴哉と出会った時の面影を探すなど、野暮すぎることだった。
かつてと同じ現場で、かつてと同じ仕事でも、従業員(ひと)が変わるとこうも雰囲気が変わるものか、まるで初めて来た現場のようなだったな…。
そんな愕然した気分で、帰宅。
「もう二度と、あそこには行くまい…」
BGM代わりにつけたテレビを見るともなしに見ながら晩飯を食べ終えると、疲れから眠気が一気に襲ってきて、僕はそのまま畳に寝そべった。
ああ今ここで寝てしまっては後で眠れなくなるなぁ、と思っているうちに…。
〈続〉