迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

余震の真相。

2021-08-29 19:15:00 | 浮世見聞記
千葉縣佐倉市の國立歴史民俗博物館で、特集展示「鯰絵のイマジネーション」を観る。



“鯰繪(なまずゑ)”とは、地震の元凶と考へられてゐたナマズを戯画的に扱ひ社會風刺を利かせた刷り物で、その名稱は近代の研究者により命名云々。

地震發生直後から刷られる、作者や版元の署名も無いキワモノだが、そこにはいかなる災害も明るく洒落のめしてやらうとする江戸庶民の心の逞しさが窺へて、これぞ泰平の世の文化とも云へる。


そもそも、地震とは。

ふだんは鹿島神の“要石”によって抑へられてゐる地中深くに棲む鯰が、動くことでたちまち發生する──


(※解説チラシより)

古えの人々は、さう信じてゐた。


そのことから、安政二年(1855年)十月二日──旧暦。新暦の十一月十一日──の夜に江戸を襲ったいはゆる「安政江戸地震」は、“神無月”で鹿島神などの神々が出雲へ出かけた留守に鯰が暴れたからだ、と江戸庶民は考へて、黒羽織で正装したナマズたちが八百萬の神前で両手をつひて詫びる構図の鯰繪を刷り、後世に生きる私を笑はせる。

そして、詫び証文に判を捺すときに手が震へたためそれが余震となったとあり、私を大いに納得させる。



阪神淡路大震災で神戸の自宅が倒壊した昔の知人は、風呂場がむき出しになったのを見て、「うちは今日から露天風呂や……!」と笑ったさうだ。


災難を笑ひに転換する──


難しいことだが、

しかしこれがいちばんの有効な、

厄災除けなのではないだらうか……?




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