迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

陰陽―カゲヒナタ―7

2012-05-07 18:12:09 | 戯作
午後の作業が始まって暫くしてから、ケータイへメールの着信があった。

チラッとディスプレイを見ると、翔から。


昼休み中に翔へメールしようと思っていて、ボールペンと「さんさ時雨」と山内晴哉との一件があったために、すっかり忘れてしまっていたことに気が付いた。


そんな時に向こうの方からメールしてくるというのも、何かの因縁?


十五時の小休止の時に、休憩室で開いた。


『“紅旗征戎、吾事に非ず”って、確か藤原定家が言った言葉だよね?』


ん?何だろう、また急に。


“コウキセイジュウ、ワガコトニアラズ”―世の中の争い事に、私は関わりません。

そう。鎌倉初期の歌人、藤原定家が遺した言葉だ。

時代が下って南北朝時代、我が近江家を興した源章雅(みなもとの あきまさ)卿も、この言葉を家訓とした。

だからこそ定家の子孫である冷泉家同様、村上天皇の子孫である“村上源氏”近江家も、現代まで存続したのだ―高校生の時に、翔にそんな話しをしたことがあったっけ。


『おっしゃる通りです。』

と返信文を打って、続けて
“突然そんなこと訊いてきて、どうしたの?”
と打とうとした時、休憩室の一角で情報番組を放送中のTVでは番宣コーナーが始まったところで、ちょうど翔が今度出演するミュージカル公演の稽古風景が映し出されていた。

なんて素晴らしすぎるタイミングだろう!


リポーターの、

「稽古もいよいよ佳境に入り…」

云々の解説にのせて、主演女優が「得意のダンス」を踊っているシーンが続くと、メインキャストの一人である我が親友も、しっかりとそのなかに映っていて、思わず「おっ」と声を上げそうになった。


当然ながら、普段僕の前で見せるプライベートの表情とは全く違う、“プロの俳優”の表情をした宮嶋翔。

「かっこいいなぁ…」と、つい眩しいものを感じてしまう。


そうだよな、翔はああいう世界で生きている人間なんだよな。

僕みたいな一般人には計り知れない、独特で、華やかな世界…。


そんなことを思っているうちに主演女優の簡単なインタビューとなり、最後に
「皆さんぜひ観に来て下さい」
と締め括って、次の話題へと移っていった。


そうだ。


『いまTVで、今度のミュージカルの稽古シーンが映ってたよ。翔がダンスしてるシーンもやってた。頑張ってね。観に行くから』


送信。


あの映像がいつ撮られたものかは分からないけれど、あれを見た限りでは、先日気になった翔の言動は、もしかしたら杞憂だったかもしれない―気分転換に、ちょっと変わったことをしたかっただけなのかも。


でも、いきなり「紅旗征戎」の事を訊いてきたのは、何だか気にはなる…。


そこへ、再びメールが着信。

当然翔からだろうと思って開くと、意外にも馬川朋美からだった。


『今ごろは頑張って筆をふるっている頃ですか?こちらは大学で爆睡中。春眠暁を…です。ふあ~』


「……」

彼女がこちらの様子を知らないのは、もちろん分かっている。

でも、何だか翔との会話に彼女が無理矢理割り込んで来たような気がして、僕は妙にシラけた気分になった。






〈続〉
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