迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

陰陽―カゲヒナタ―6

2012-05-06 23:03:24 | 戯作
当然ながら、休憩室にも彼の姿はなかった。

そこで、午後の作業が始まったら何とか見つけて返すことにした。

でもその前に、自分のボールペンを探そう。

あれだって元手がかかっているんだ。


食事を済ませると、ピッキング商品が棚に所狭しと詰め込まれた作業エリアの、自分が午前中に通ったコースをもう一度探して歩いた。


昼休み中は節電で照明を消しているから、構内は薄暗い。


健康食品を保管している一番奥の“Dゾーン”まで来た時、不意にどこからか、


“さんさ時雨か 萱野の雨か…”


と、微かに「さんさ時雨」が聴こえてきて、僕は思わずドキッとして足を止めた。


“音もせで来て ぬれかかる…”


空耳?

僕は一度、手で両耳を覆った。

そして離す。


“この家(や)座敷は 目出度い座敷…”


やっぱり聞こえる。

呟くような、微かな唄声。

確かに聴こえる。

夢で聴いた唄が、いまこんな場所で、現実に聴こえている…。

正夢?

ただの偶然?


それにしても、誰が?


“鶴と亀とが 舞い遊ぶ…”


まさか、“たかしまはるやさん”じゃないよね…?


僕は足音をそっと忍ばせるようにして進む。


“雉子(きじ)のめんどり 小松…”


唄声が、ピタッと止んだ。

おや?


いきなり背後から、

「ボールペンさがしてんのか?」

僕は文字通り飛び上がった。

「ゴメン、驚かした?」

振り向くと、山内晴哉がそこに立っていた。

またしても、真後ろからの登場か…!

「…はい」

「絶対に見つかんないよ」

「…え?」

「落とし物は速攻だれかに拾われて、そいつのモノになる。ここは、そういうトコ」

「……」

「ビンボー人だから。ココの人たち」

山内晴哉は小さく笑って、傍に積んである段ボール箱を軽く蹴った。「俺もだけど」

「あ、そうだ…」

僕は彼への用事を思い出した。「これ、ありがとうございました」

と、ポケットからボールペンを差し出した。

「いい。あんたにやるよ」

「でも…」

「マジいいって。俺いっぱい持ってっから。…拾ったやつをな」

そう言っていつかのようにニヤリとしてみせる山内晴哉の表情は、嫌味を感じさせなかった。

「いいん…、ですか?」

「今度は紛失(なく)すなよ。絶対見つかんないし、自分が損するだけだから」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて…。すみません」

僕はボールペンを、再びポケットにしまった。

そして軽く頭を下げてこの場を去ろうとすると、

「あのさ、エーヨーとってかない?」

「はい?」

「だから、エーヨー」

「栄養、ですか?」

「そ」

山内晴哉は棚の下段に置かれているプラスチックケースを勝手に開けると、中の商品をゴソゴソとやりだした。

「あの、なにしているんですか…!?」

僕が焦るのもお構いなしに、山内晴哉は

「クッキー系とか、OKな人?」

と振り返る。

「ちょっと待って下さいよ、それって商品(うりもの)ですよね?」

「だからクッキー系とか、OK?」

「…はぁ」

「だったら、はい。なにかのエーヨー成分配合のやつ」

と、ハンドサイズのパッケージをヒョイと放った。

「あっ」

いきなりのことで僕が取り損なうと、

「こんだけ近いんだから、フツー取れるでしょ」

と呆れつつ、「この箱に入ってんのって、全部消費期限切れで廃棄するやつ。まだ食えるのに、もったいないだろ?」

「まぁ…。そうですけど」

「つまり、エコってことだよ。」

なんか使い方が違うような気がした。

「あの、いつも昼休憩の時、ここにいるんですか?」

「そうだね。ここでエーヨー摂りつつ、昼寝してるの。この時間は電気消えてて誰も来ないから、ちょうどいいんだよ」

山内晴哉はそう言いながら、ケースに手を突っ込んでの野菜ジュース缶を取り出すと、プルトップを開けてぐっあおった。

「こんな所で昼寝して、風邪とか引きません?」

「一度も。俺あの休憩室キライなんだよ。TVがウザいから」


二人の会話が、一度ここで途切れた。


再び口を開いたのは、僕のほう。


「あの…、もしかして、ここで唄をうたっていました?」

「唄ってたけど」

「“さんさ時雨”、ですね?」

「マジ、知ってんの?」




表情に光りがさす、とは、まさにあの時の山内晴哉を言うのだろう。

薄暗いなかであったにも拘わらず、あの瞬間のことは、現在(いま)も鮮明に記憶している。




「はい。前に聴いたことがあります」

「もしかして、東北出身?」

「いや、東京ですけど…」

「そっか」

それでも、山内晴哉の表情は曇らない。

「あれは、とってもいい曲ですね」

僕は、夢のなかで聴いた「さんさ時雨」を思い出して言った。

「だよ、な。そう思うよな?」

山内晴哉は、いきなり握手を求めてきた。

「は、はい…」

僕は半ば反射的に右手を出すと、山内晴哉はその手を、しっかりと握った。

その手には、力が籠っていた。

「一人でもそういう人がいると、嬉しい」

「はぁ…」


意外な展開だった。

無愛想で無口なヤツだとばかり思っていた山内晴哉が、実はこんなに人と喋るヤツだったとは。

そして、「さんさ時雨」を唄うようなキャラだったとは。


「民謡、習ってるんですか?」

「小っちゃい時に。民謡を、というより、“さんさ時雨”を習った…、というか聴いて覚えた、の方が当たってるかな…」

「あなたは仙台方面の出身で?」

「いや、俺も東京なんだけど、死んだおじいちゃんが民謡習っていてさ。得意だったのが、“さんさ時雨”」

「ああ、それで」

「なにかって言うと、よく唄っていたよ…」

その瞳(め)に映る、亡き人への敬慕の念…。



僕が「山内晴哉」という人物を、自分のなかにはっきりと認識したのは、この瞬間だった。



「こういう曲を知っているなんて意外でした。見た感じ、ハードロック系とか…」

「それはないね」

山内晴哉は即座に言った。

そして、はははと、笑った。



そこへ、午後の作業開始のチャイム。


「さ、行くか」

山内晴哉は気を変えるように言った。「あ、それ、見つかんないようにちゃんと隠しときな」

「おっと…」

僕はポケットに、慌ててクッキーを突っ込んだ。







〈続〉
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