國學院大學博物館の企画展「武士を描くものがたり─比べてみる軍記の世界─」を見る。
藤原純友、平将門に俵藤太、そして源平合戦のもののふたち──
軍記物語の主人公が、時代と共にその時代の意向に沿った人物へと変質させられていくさまを、実際の文献を並列して示し、解き明かしていく。
私が現代手猿楽「扇之的」の原典に求めた平家物語のそれにおひても、那須与一がそのとき携ゑてゐた矢の本数が、初期と後世とではまったく異なってゐることを初めて知り、良ゐ勉強となる。
また合戦絵巻も、実はさうした意向を巧みに織り込んだ手法により制作されてゐて、これではまるで一種の“洗脳”だと、怖さすら覺へる。
「歴史認識」は時代によって変化する──
とは、
『歴史とは時代(とき)の権力者によって“創作”される』
と、置き換へることも可能といふことだ。
永遠に“答ゑ”の見つからなゐ学問──それが、歴史なのかもしれなゐ。
つまり、何世紀にもわたって人間の精神に棲みつき、そして今日も世情を混迷させる、厄介な生き物なのだ。
軍記物語は、史実書ではなゐ。
公式文書は、正式文書でもなゐ。