武州高崎の頼政神社を参拝す。
高崎の中心街からやや外れた高崎城址公園、隣接する高崎公園に背を向けて建つこの社は、松平輝貞が高崎藩主となった二年後の元禄十一年(1698年)に創建云々、その後輝貞は越後村上への移封、さらに再び高崎に戻るなど、転任のたびに神社も行動を共にし、最終的に烏川を臨む現在の場所に落ち着く。
松平・德川の先祖は源氏(新田義貞)と稱したことから、文武に秀でた源三位頼政を遠祖として祭神に祀ったのが始まり云々、かつてその祭禮は上州随一とも謳はれ、やがて「惡縁を斷つ」と云った御利益も生まれる。
現在は古びた風情の境内に、いくつかの石碑が遺るなか、内村鑑三の顕彰碑が目をひく。
内村鑑三と聞くと耶蘇教徒の印象があり、なぜ神道の庭に? と不思議に思ったが、内村鑑三は高崎藩士の家の生まれで、生前に恩恵を受けた人々が有志となって當地に顕彰碑を建立云々、高崎とは深い縁があることを知り、納得する。
私が神社をあとにする時、前の道を通りかかった若い戀人同士が、つられるやうにして、入れ違ひに境内へ入って行った。
あの二人が惡縁でありませんやうに、などと考へる私は、我ながら惡人(イヤなヤツ)だと笑ふ。