横浜馬車道の東京藝術大学横浜校舎で、活動辯士による無聲映画の上映会があるとのことで、出かけてみる。
四本立てといふ豪華なプログラムのうち、以前に坂本頼光氏の活辯で印象的だった「月世界旅行」が二本目の上映といふことで、それを楽しみにしてゐたが、一本目の日本製短編アニメ後のトークコーナーがあまりにもダラダラと長く続き、すっかり閉口する。
當校で映画を教えてゐるといふ映画屋を進行役に登壇した男女二人の活動辯士は、明らかに思ひ付きで喋ってゐるために話しにまとまりがなく、またややもするとロが滑りがちで、本當に喋りの玄人(プロ)なのかしら、と首を傾げたくなる一幕もあり。
また進行役がそれに輪をかけて下手くそなため、トークコーナーとしてはすっかり崩壊し、ダダの駄弁り場と化す。
お客が退屈しだした雰囲気を察したらしい活動辯士が、さすが「お客の反応を感じながら、お客と一緒に映画を創り上げていく」と話すだけあり、さり気なくコーナーの締めにかからうとしたが、肝心の進行役が、「そこはまう少し辛抱してゐただいて……」と抑へたのに至り、これはダメだ、と見切りをつけ、それからしばらく後の待ちに待った休憩時間に、席を立つ。
目当てだった「月世界旅行」は観損なったわけだが、しかし坂本頼光氏の活辯で楽しかった作品の印象を壊さずに済んだと、むしろホッとする。
──さう、一度観て良かったと感じた作品は、その印象を大事に残すためにも、二度は観ないはうが良いのである。
そして、今日の邦画がすっかり堕ちたのは、まさに今回の進行役のやうな、まるで受け手の雰囲気を読めない無感性な者が制作現場に携わってゐるからだといふことを、はっきりこの眼で認識する。
それが今日の、私の収穫。