「ミャンマー」といっても軟禁されていたアウンサン・スーチーさんのことと、ずっと昔、映画で見た竹山道雄の「ビルマの竪琴」くらいしか知識のない私は、出発間際になってたった1冊「ミャンマー・いまいちばん知りたい国」(中村羊一郎著)という本を読んだ。付け焼刃もいいところだが、これが思いがけなく役に立つことになった。
お世話になった修道院での食事の時に「あれ!」と思うものに出会った。それは緑色の葉っぱを蒸して油につけた炒め物とも漬物ともつかない奇妙な食べものだった。食べてみるとそれはお茶の葉の感触である。
そうだ! これが食べるお茶、ラぺソーだ!!
実は、ひそかに「ラベソー」なるものを探していた矢先のことだった。 教会ではイタリア人のシスターもベトナム人のシスターもカンボジア人のシスターも、ご飯にかけたりパンに付けたり、当たり前のようにこのお茶の葉を食べていた。たどたどしい英語で「これがお茶の葉」かを尋ね、それが「ラぺソー」だとわかった時の感激!!
実は、中村羊一郎氏の著書「ミャンマー」は、 そもそもお茶のルーツを訪ねてミャンマーを訪れたことから始まった民族学的な要素の強い著書で、少数民族のことやミャンマー人の日常的な暮らしをとおして、開発の進む現代ミャンマーを見据えたものである。そんな中に食べるお茶「ラぺソー」のことが詳細に記されていた。お茶の木は、標高の高いマンダレーが主生産地であり、マンダレーの山地が今回の私たちの旅の目的地でもあった。ラぺソーに出会わないはずはない。
次の日の朝、教会の裏道を散歩していると、小さな掘っ立て小屋の店があった。なんとその軒先に、ビニール袋に入ったラぺソーがつるさがっているではないか。多分現地のお金でもⅠ~5円くらいだろう。ミャンマーでは、ごくごく庶民的な食べ物として、お茶が食べられているのだ。(お店の主人と記念撮影)
ほら、これがラぺソー
せっかくの機会だから、ラぺソーについて記しておく。
蒸した葉を揉んでから大きな籠やコンクリートの穴に詰め込み空気を遮断して発酵させる、これがラベソー。これに塩をまぶしてピーナッツなどの具を入れて油であえたのが、ラぺトッ。ちなみにラぺとは茶のことでソーは湿っているという意味。緑茶はラぺチャウという。ミャンマーの国民的なたべものである。
(中村羊一郎著「ミャンマー」いまいちばん知りたい国 より)
もてなしには、真ん中にラぺソー、周りに揚げたピーナッツ
干した小エビ 千切り生姜 それらを各自で混ぜていただく。
お茶の漬物、遠い昔、日本人もこんな風にお茶を食べていたにに違いない、そう思わせる懐かしい味がした。