「ピンウールィン」って言われても、何のことかさっぱり判りませんよね。
実は私も、ピンウールィンがマンダレーからどのくらい遠いのか、どういう町なのか、何も判っていないまま、「マンダレーから山を一つ越えた向こうの町」に向かうというシスターの車に乗り込んだのでした。ところが道は次第に険しい山道になり、曲がりくねった急こう配の坂道を行くこと2時間余り、やっと峠を越えたと思った頃に表れたのがピンウールィンの町でした。山奥の小さな山村を想像していたのですが・・・。
お世話になった修道院・何処かイギリス風な感じがする。「ピンウールィン」というのは町の名で、昔の日本人ならメイミョーといった方が判りやすいとか。
実は、ビルマは、太平洋戦争末期には日本兵とイギリス兵との戦いの地でした。ビルマの竪琴の舞台は、タイの国境に近いマンダレーの山地だったと記憶していますから、この地も厳しい戦いの場だったことがあるのでしょう。 19世紀の末、ビルマを植民地にしたイギリスは、ビルマの暑さに困惑して、イギリスの気候に近い地を捜しました。そして発見したのがピンールィンだったのです。マンダレーの東70キロメートル、海抜1100メートル、高原は心地よい涼しさでした。イギリス人はこぞってこの地に家や別荘を建てました。その名残がいたるところに見られます。
ピンールィンにある 国立カンドージー植物園。
1.6平方kmと広大の土地には、池あり水辺あり、動物や鳥たちの小屋あり。 何よりのびのびとしていて緑が美しいのです。園内には小さな車が走っていて、広い園内を回ってくれます。 この公園のすぐ近くに、ナショナル・ランドマーク・ガーデンというのがあります。ミャンマーのいろいろな建物や名所がミニチュアガーデンのように作られていて、楽しめる遊園地のような公園です。
アニサカンにある落差45メートルの滝、赤い岩肌を白い水がまっすぐに流れ落ちる様は迫力があります。
さっと案内して頂いた ピンウールィン は、近代的な明るい観光の地という印象。現代のミャンマーの持つ可能性の一面を見せて頂いた感じです。今回は、とりあえず美しい自然だけをご紹介しました。いろいろな珍しい出会いはつぎに・・・。