昨日、宮崎修二朗先生からお借りしてきた本『追慕 富田砕花』を読んでいるが、のっけから心を打った。
砕花さんのお世話を43年間された女性の文章である。
この本に寄稿している人は、当時の兵庫県の錚々たる文化人、58人である。キヨさんを含めて59人。
足立巻一、海尻巌、貝原六一、杉山平一、宮崎修二朗、杉本苑子、山本武雄、岡部伊都子、浅井弥七郎、中川一政、白川渥、安水稔和…
坂井時忠知事の名前に違和感を覚えるほどの優れた文人、芸術家たちである。
その巻頭に、お手伝いさんのキヨさんの文章がある。
この編集は、宮崎修二朗氏か有井基氏のどちらかであろう。
お読みください。
決して達者な文章ではありませんが、惻々たる心情が伝わって来ます。
必ずしも名文だけが人の心を打つとは限らないのですね。
この本の表紙裏にこのような切り抜きが貼りつけられています。
有井基さんが書かれたものらしい。
この中の「当初心配されたような”私はこれだけ先生と親しかった”という便乗自慢型は、さすがに少ない。」が面白いです。ないとは言っておられない。わたし、読んで、あらホントだ、というのがあります。まことに文章を書くのは怖い。いつ誰が、どのように読むかわからないのだ。