『発掘 司馬遼太郎』(山野博史)という本を読んでいる。
司馬遼太郎さんが交わった10人ほどの人のことが書いてある。
その中に足立巻一先生のページが多く割かれている。20ページ近く。
笑ったのは、司馬氏が書かれた『虹滅記』(朝日文芸文庫版)の巻末エッセイ。
≪足立巻一さんは、やや大柄で質朴な風貌のひとだった。手拭いで頬かぶりすれば、田が何枚あろうと、一人で堰から水を入れ、代掻きをし、田植えをし、水をぬいてりっぱに育てるという面構えをもっていた。≫
文庫版は購入しなかったのでこの文はわたし初めてお目にかかる。なんという的確な描写!
それから印象的なのは、弔辞。司馬さんは原稿なしで弔辞を読まれたのだと。だから残ってないのですね。
わたしも葬儀に参列したので聞いたはずだが覚えていない。お恥ずかしい。
これ、久米勲さんが書きとめておられる。
久米さんは河出書房新社の編集者です。
≪「足立ツァンは、自己のない人だった。人のことを考える人だった。だから足立ツァンと会っていると、自分も足立ツァンになりたいと思うようになり、そうしょうとする。しかし、やはり足立ツァンにはなれないことがあとでわかる。――文学は自己を語るものだが、自己のない足立ツァンの作品が文学になりえたのは、己を無にし、昇華したところで書いたからだ」(略)≫他にも司馬さん、足立先生のためにいい文章を書いておられます。
司馬遼太郎さんが交わった10人ほどの人のことが書いてある。
その中に足立巻一先生のページが多く割かれている。20ページ近く。
笑ったのは、司馬氏が書かれた『虹滅記』(朝日文芸文庫版)の巻末エッセイ。
≪足立巻一さんは、やや大柄で質朴な風貌のひとだった。手拭いで頬かぶりすれば、田が何枚あろうと、一人で堰から水を入れ、代掻きをし、田植えをし、水をぬいてりっぱに育てるという面構えをもっていた。≫
文庫版は購入しなかったのでこの文はわたし初めてお目にかかる。なんという的確な描写!
それから印象的なのは、弔辞。司馬さんは原稿なしで弔辞を読まれたのだと。だから残ってないのですね。
わたしも葬儀に参列したので聞いたはずだが覚えていない。お恥ずかしい。
これ、久米勲さんが書きとめておられる。
久米さんは河出書房新社の編集者です。
≪「足立ツァンは、自己のない人だった。人のことを考える人だった。だから足立ツァンと会っていると、自分も足立ツァンになりたいと思うようになり、そうしょうとする。しかし、やはり足立ツァンにはなれないことがあとでわかる。――文学は自己を語るものだが、自己のない足立ツァンの作品が文学になりえたのは、己を無にし、昇華したところで書いたからだ」(略)≫他にも司馬さん、足立先生のためにいい文章を書いておられます。