喫茶 輪

コーヒーカップの耳

喫茶店をやっている人

2020-06-15 11:22:30 | 喫茶・輪

「なくなってしまった喫茶店のこと」の中の「すみれ」という喫茶店のママさんの話。
そのママさんが亡くなった後で常磐さんはその人の人生を知ることになる。
波瀾万丈の人生を。
そのことはここには書かないが、常磐さんは終わりにこんなことを書いている。
《喫茶店をやっている人たちの一生はささやかな人生である。
<すみれ>の都さんについても同じことがいえるかと思う。
私はそのささやかな人生に深い敬意を払いたい。》

わたしも『完本コーヒーカップの耳』に登場する普通の人びとに深い敬意を払いたいと思う。
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喫茶店がひとつ消えるということ

2020-06-15 09:17:50 | 喫茶・輪
東京の小さな喫茶店』という本に「なくなってしまった喫茶店のこと」という章があり、その中の「DAN」という店のこと。


《喫茶店がひとつ消えていく、いわばその現場に私はたまたま立ちあうことができた。
いま思えば、喫茶店は個人ではやってゆけない事態になっていたのである。
喫茶店の主人たちと世間話などできなくなりはじめていた。
(略)喫茶店というのはいまや割の合わない商売である。
水谷さんも小島さんももう一度、喫茶店をはじめるということはないであろう。
(略)またはじめるのはもう無理だ。第一、身体がつづかないだろう。》


この前後にドラマがあるのだが…。
「喫茶・輪」も過去何度か廃業宣言をしたことがある。
その度に「もうちょっとやってえな」などと言う声に押されてドアを閉めずに来た。
当然でもあるが、かつてのような賑わいはもうない。
食事の提供もしないし、営業時間も極端に短くした。
もちろん採算は度外視である。わたしたち老夫婦の健康保持のためもあって細々とやっている。
これが家賃を納めねばならない店だったら、とうの昔に辞めている。
喫茶店がひとつ消えるということは、小さくても一つの文化が消えることだと思う。
淋しいことだ。
『完本コーヒーカップの耳』
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