東京の小さな喫茶店』という本に「なくなってしまった喫茶店のこと」という章があり、その中の「DAN」という店のこと。
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《喫茶店がひとつ消えていく、いわばその現場に私はたまたま立ちあうことができた。
いま思えば、喫茶店は個人ではやってゆけない事態になっていたのである。
喫茶店の主人たちと世間話などできなくなりはじめていた。
(略)喫茶店というのはいまや割の合わない商売である。
水谷さんも小島さんももう一度、喫茶店をはじめるということはないであろう。
(略)またはじめるのはもう無理だ。第一、身体がつづかないだろう。》
この前後にドラマがあるのだが…。
「喫茶・輪」も過去何度か廃業宣言をしたことがある。
その度に「もうちょっとやってえな」などと言う声に押されてドアを閉めずに来た。
当然でもあるが、かつてのような賑わいはもうない。
食事の提供もしないし、営業時間も極端に短くした。
もちろん採算は度外視である。わたしたち老夫婦の健康保持のためもあって細々とやっている。
これが家賃を納めねばならない店だったら、とうの昔に辞めている。
喫茶店がひとつ消えるということは、小さくても一つの文化が消えることだと思う。
淋しいことだ。
『完本コーヒーカップの耳』
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《喫茶店がひとつ消えていく、いわばその現場に私はたまたま立ちあうことができた。
いま思えば、喫茶店は個人ではやってゆけない事態になっていたのである。
喫茶店の主人たちと世間話などできなくなりはじめていた。
(略)喫茶店というのはいまや割の合わない商売である。
水谷さんも小島さんももう一度、喫茶店をはじめるということはないであろう。
(略)またはじめるのはもう無理だ。第一、身体がつづかないだろう。》
この前後にドラマがあるのだが…。
「喫茶・輪」も過去何度か廃業宣言をしたことがある。
その度に「もうちょっとやってえな」などと言う声に押されてドアを閉めずに来た。
当然でもあるが、かつてのような賑わいはもうない。
食事の提供もしないし、営業時間も極端に短くした。
もちろん採算は度外視である。わたしたち老夫婦の健康保持のためもあって細々とやっている。
これが家賃を納めねばならない店だったら、とうの昔に辞めている。
喫茶店がひとつ消えるということは、小さくても一つの文化が消えることだと思う。
淋しいことだ。
『完本コーヒーカップの耳』