喫茶 輪

コーヒーカップの耳

聖俗二冊

2020-08-07 10:05:35 | 完本 コーヒーカップの耳
菩提寺「茂松寺」のご住職がお盆のお参りに来てくださった。
手を消毒してからの読経。マスクをしたまま。
でも、しっかりしたお声で。
御盆参りのお知らせのハガキには「飲み物などのおもてなしはご遠慮させていただきます」とありました。
でも、読経が終わられたとき、「あんな風に書いておられましたが、アイスコーヒーでも」とお尋ねすると、
「じゃあ、小さいので」と。
一回り小さなグラスに入れてお出ししました。
そこでちょっと世間話など。
その時、「前に来ていただいたとき、このご本を頂きました」
と、『趙州録提唱』をお見せし、
「これ、話し言葉で書いてありますので読みやすいですね」と。
著者は臨済宗東福寺派の師家、福島慶道師。
御健在だったころには茂松寺へ法話に来ておられた。
で、
わたしの本、『完本コーヒーカップの耳』を差し出し、
「もらってください。これは衆生の煩悩が詰まった本ですが。これも話し言葉で書いてあります」と。



ということで、聖俗のトレードとなったのでした。
かたや悟り、こなた煩悩。
さてご住職、読んで下さるかな?
まあ、お盆の間は無理でしょうが。

追記
  『趙州録提唱』(福島慶道著)という本の中にはこんな言葉がある。
  「尊年」。
  《もう趙州和尚は98歳を超えておるんだから、百歳の老僧だ。「尊年」というのは、尊ぶべき年、非常にお年を重ねておるということだ。
  中国の一般的な考え方では、もう年をとっておるだけで、若いものはみな尊敬するという観念があるから、老年を尊年というふうに表現したのであろう。》

  なるほど「尊年」か、いい言葉だ。
  1200年ほども昔の中国の話。
コメント
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