昨日、地蔵盆の24日、境内の藤棚の下で、お参りに来られる人を待ちながら本を読んでいました。
参拝者があれば、もちろんその人とのお話が優先です。
読んでいた本は、先日ざっと読んだ大村利一氏の歌集『清明集』(現代創造社)。
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すべて調べつくしたつもりでしたが、やはり見逃していました。
次の一首。
《 新酒のあまき匂ひのほのもれて東川べの櫨の木道は 》
この本は利一氏没後二年に出されたものです。
昭和36年から58年までに作られた7,000首余りの中から選ばれた541首。
選ばれた歌は利一氏の思いとはズレがあるかもしれません。
この《新酒の…》はどうでしょうか?
利一氏の意が汲まれているでしょうか?本意が。
選んだ人は石崎正明(武庫川女子大・帝塚山大)という歌人だそうです。
まあ、秀句ということなのでしょうが、この歌の心はわたしの方がよくわかると思います。
心というより情景が。
だって「東川」は私の家のすぐそばの川。新酒とは「日本盛」の酒。そして「櫨の木道」は東川と六湛寺川に挟まれた土手の道のこと。
「小墓圓満地蔵尊」の前から東へ100メートルほどのところ。
利一氏の『西宮物語』に詳しく出ています。
昭和30年代に利一氏は『西宮物語』の取材のためにこの辺りを歩かれたということでしょう。
この歌はその時に詠まれたものと解していいように思います。
この一冊の中で地蔵さんに関するうたはこの一首だけでした。
でもこれを見つけられて、この本を入手した価値はあったというものです。
㊟ 「櫨の木道」は戦前の呼び名。今は使いません。戦前には櫨の木が多くあり、秋の紅葉が見事だったと。床几に赤い毛氈を敷いた茶店が出たという話が残っている。わたしが子どもの頃もまだ1,2本が残っていて、カブレた子どもがいたという記憶が微かにある。
参拝者があれば、もちろんその人とのお話が優先です。
読んでいた本は、先日ざっと読んだ大村利一氏の歌集『清明集』(現代創造社)。
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すべて調べつくしたつもりでしたが、やはり見逃していました。
次の一首。
《 新酒のあまき匂ひのほのもれて東川べの櫨の木道は 》
この本は利一氏没後二年に出されたものです。
昭和36年から58年までに作られた7,000首余りの中から選ばれた541首。
選ばれた歌は利一氏の思いとはズレがあるかもしれません。
この《新酒の…》はどうでしょうか?
利一氏の意が汲まれているでしょうか?本意が。
選んだ人は石崎正明(武庫川女子大・帝塚山大)という歌人だそうです。
まあ、秀句ということなのでしょうが、この歌の心はわたしの方がよくわかると思います。
心というより情景が。
だって「東川」は私の家のすぐそばの川。新酒とは「日本盛」の酒。そして「櫨の木道」は東川と六湛寺川に挟まれた土手の道のこと。
「小墓圓満地蔵尊」の前から東へ100メートルほどのところ。
利一氏の『西宮物語』に詳しく出ています。
昭和30年代に利一氏は『西宮物語』の取材のためにこの辺りを歩かれたということでしょう。
この歌はその時に詠まれたものと解していいように思います。
この一冊の中で地蔵さんに関するうたはこの一首だけでした。
でもこれを見つけられて、この本を入手した価値はあったというものです。
㊟ 「櫨の木道」は戦前の呼び名。今は使いません。戦前には櫨の木が多くあり、秋の紅葉が見事だったと。床几に赤い毛氈を敷いた茶店が出たという話が残っている。わたしが子どもの頃もまだ1,2本が残っていて、カブレた子どもがいたという記憶が微かにある。