喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「浄譽妙恵禅定尼」

2020-08-12 16:00:24 | 新型コロナウイルス
猛烈な暑さの中、従姉の葬儀告別式に行ってきました。
歩いても5分の所、自転車で3分で。
戒名は多分「浄譽妙恵禅定尼」だった、と思う。自信なし。
本名の美恵子から一字取っていたのは間違いない。

家族葬。しかもコロナ禍での。
弟妹など遠方の縁者が来れず、供花と弔電での参加。
致し方ないですねえ。
参列者はわたしを含めた親戚(喪主含む)が11人。親しくしておられた知人などが5人。
計16人でした。

そんな中、美恵子さんの実家の跡取り、昌記さんが母堂と共に来ておられました。
但馬の朝来市からです。
コロナを警戒して、途中、道の駅などにも寄らず直行でと。

式が終わって、霊柩車まで運ぶのにわたしも柩の一隅を支えさせていただきました。
けっこうずっしりと重かったです。

そのあと、満池谷の火葬場までお見送りしてきました。
火葬場のそばにニテコ池という池があります。
バスに同乗していた山本の昌記さんに、ここが「火垂るの墓」の舞台ですよ、と教えてあげたら、驚いておられました。今はもう蛍はいませんけどね。
ただし、近くの夙川にはいるそうです。
あの小説(映画)の登場人物の名前(節子)と彼の嫁さんの名前が同じなんだとか。
今年、記念碑が建ったのですが、わたしはまだ見てません。

火葬場ではもう、柩の窓を開けてのお別れはなし。
あの重そうな扉が閉められるときは、やはり心が打ち沈みますね。
まだつい最近言葉を交した人なのに。
「無常」以外のなにものでもありません。

しんみり本『完本コーヒーカップの耳』
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35年

2020-08-12 09:38:51 | 足立巻一先生
日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落してから、今日で35年だという。
坂本九さんが生きておられたら78歳だと。
ほぼわたしと同年。
何度も書くが、あの飛行機にはわたしと同姓同名のイマムラキンジという人が乗っていた。
しかも同年齢。
テレビのニュース速報でカタカタでの乗客名簿が発表され、何人もの人から電話がかかってきた。
翌朝にはわざわざ確かめに来て「あ、足がある」とか言われた。
なんだか不思議な経験をしたものである。
これも何度も書くが、神戸の病院に入院しておられた足立巻一先生が「ぼくの教え子が乗っていた」と嘆かれていたということを後日聞いた。
足立先生はその二日後、8月14日に急性心筋梗塞でお亡くなりになった。
わたしにはそれが心残りになっている。
なんだか後ろめたい気持ちがいまだに拭えないのだ。
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