喫茶 輪

コーヒーカップの耳

「帰らぬ人形」の人

2021-01-01 22:51:30 | 完本 コーヒーカップの耳
『完本コーヒーカップの耳』に登場する明石陽子さんが今朝お亡くなりになった。
94歳。
それにしても元日の朝に亡くなられるとは。

「帰らぬ人形」を語って下さった人である。
わたしのことをいつまでも「お兄ちゃん」と呼んでくださった人である。
枕元には『完本コーヒーカップの耳』を置いておられたと。
本が生前に間に合って良かった。


「帰らぬ人形」

わたしの実の父は 石川白鳥というペンネームで映画の脚本を書いてたんよ。髪はオールバックでいつも着流しで わたしの知りたいことは何でも教えてくれて カッコ良くて わたし大好きやった。父の原作脚本の映画では「帰らぬ人形」とか「山中小唄」というのがヒットしたらしいんやけど そのうち売れんようになってきて 貧乏してたみたい。それで わたしが九歳の時 お祖母さんが見かねて母を田舎へ連れて帰ってしまって しばらく父と子ども四人とで暮らしてたんよ。まあ わたしら子どもの知らない もっと他の事情もあったんやろけどね。

ある日 父が 「お母さんを呼びに行こ」と言って わたしら子どもを連れて 田舎の母の所へ行ったんよ。ところがそこで 母が別の人と祝言挙げてるとこに たまたま出くわしてね 父は知らんことやったらしくて そっとまたわたしらを連れて帰ったんよ。それで父は諦めたらしい。
だけどそれからしばらくして 今度は父が家を出てしまってね わたしら子どもだけになってしもた。父はすぐに帰るつもりやったんやろけど これもわたしら子どもの知らない事情があって 帰れんようになったんやろね。それでお祖母さんが お米やわずかのお金を持って来てくれたりしたけど わたしが一番上やったから 弟らの面倒を見たらなあかんし 下の妹はまだ乳飲み子やったから ミルクを飲ましたらなあかんし 学校へもその子を負んぶして行ったんよ。そんな生活をニ、三か月したころに ヒョコッと父が顔を見せてね ああ良かったと思たけど ちょっと会いに来ただけで わたしらの服やら靴やらを置いて またすぐ出て行ってしまったんよ。わたしは父のこと大好きやったから ついて行きたかったんやけど 嵐電の等持院駅で わたしのおかっぱ頭をなでながら 「陽子 ええ子にしときよ。きっと迎えに来るからな」と言って そこで別れたんよ。それからはずっと いつか父が迎えに来てくれると思て暮らしてたけど 結局それが父の姿を見た最後やった。

ある日 駄菓子屋の前で 店に人がおらん時 もうちょっとで万引きしかけたことがあったんよ。わたし 今でもその光景をありありと思い出すんよ。ひもじくて ひもじくて そこにあるキャラメルがおいしそうで もうちょっとで手が出かけたんやけど 思いとどまったんよ。父の 「ええ子にしときよ」という言葉思い出して。あの時 手ェ出してたら わたしきっとその後の人生変わってたと思う。
そんなころ 近所でウロウロしてる おウメさんていう乞食のおばちゃんに声をかけられて お菓子をもらったことがあった。わたしの顔見たら くれはった。わたしのこと知ってたんやろなあ。わたし お乞食さんに恵んでもらってたんよ。 
それからわたしらは 母の所へ引き取られたんやけど わたしは 教養のない義理の父親をどうしても尊敬できなくて 馴染めなくて 「お父さん」とは呼べなかった。母も「あんたはお父さんに似てるから」とわたしのことを好きではなかったようで 辛い日々やった。

昭和19年 わたしが18歳の時 父が死んだと 鎌倉から知らせがあってね 母は 行かなくていいと反対したけど わたし 電報の住所を頼りに探して行ったんよ。やっとたどり着いたら 葬式は済んでしまってたんやけど 父と暮らしてたという優しそうな女の人がいてはって よく来られましたと家の中へ入れてくれはって 仏壇の遺骨にお参りさせてもらった。そこで 「あの人は いつも陽子陽子とあなたのことを心配してましたよ」と聞かされたんよ。そして 遺骨を持たせてくれはって あの人がよく行ってた場所を案内しましょ と言ってくれはって 縁のあるとこ連れて歩いてくれはったんよ。わたし 父の遺骨を抱いて 町を歩き回ったんよ。いつも行ってる散髪屋さんやら 煙草屋やら 食堂やら 映画館やらを案内してもらって。そこでの様子を話してもろたり。それから 江の島の海へも行った。二月の寒い日やった。きれかった。だけどわたし 腹立たしいて 悔しくて なんでわたしを十年も放っておいたんよ て骨に向かって言った。なんで呼んでくれへんかったんよ て言った。約束したやないの て言ったんよ。
涙流してるわたしを見て その人が 「お父さんね “誰か故郷を思わざる”って歌が好きでね いつも口ずさんでおられましたよ」て。ずっと貧乏やったから 呼びたくても呼べなくて 会いにも行けなくて ということやったらしい。それからこんなことも言ってはった。 「あの人 小説書いても甘い恋愛ものしか書けなかったので売れなかった」と。そら戦争中やもんね。だけど「お金を貯めて陽子を迎えに行くと言って 新聞配達やらいろんな仕事をして」と。二晩そこに泊めてもらって お父さんの話 いっぱいしてもらった。そして遺骨をもらって 写真も一枚もらって帰った。
家に帰ったら 母がびっくりしてね そんな骨どないすんのん て怒ったんよ。それでわたし 知恩院さんに頼んで そこに納めさせてもろた。写真は わたしのお守りにして大事にしてたんやけどね 桑名の挺身隊の寮にいた時 急な空襲で荷物持ち出す間がなくて 焼いてしまったんよ。わたし 炎に向かって 「シャシンーッ!」て叫んでた。写真はなくなったけど わたしは その写真の顔と 等持院で別れた時の姿とは 頭の中にハッキリと残ってるから。

この前 老人会で旅行に行ってね 江の島へも言ったんよ。わたし 人から離れて 一人で海眺めてた。昔の話はだれにもしなかった。

 『完本コーヒーカップの耳』
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飲まない元日は

2021-01-01 16:18:49 | 健康・病気
戴いた年賀状を楽しみ、こちらからは出していない人16人への返礼を書き、今、ポストへ投函してきました。
少々寒かったですが、歩くのが気持ちよかったです。

今年の元日は、お酒、ビールを飲みませんでした。
もっとも10月の第一回目の手術以来飲んでませんけど。
こんなことは成人になって以来初めてのこと。
治療していただいた心臓、おかげさまで今は元気に動いてますので大丈夫とは思うのですが、正月に(しかもコロナ禍で)何かあったら大変ですので自重してます。
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初詣は地蔵さん

2021-01-01 10:33:21 | 日記
みなさん、あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

初詣は隣のお地蔵さんです。



少々冷たいですが、穏やかなお正月です。



今年は、穏やかないい年になってほしいです。
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