阪神淡路大震災から今日26年。
ほぼ一世代が過ぎたということ。
あっという間のような気がしますが。
二冊の震災誌があります。
手作りの冊子。
散文で書いたものと詩集にしたもの。

詩集の中の一篇「ヒマワリ」には曲をつけてくださる人があり、コンサートで演奏されたこともありました。
今日は、散文の中の一部を。
「水」の項目から、
《植木にやる水がない。人間が大変なのだから、植木の分までは確保できない。雨の日、道に出来た水たまりの水を、kiyoが缶ですくってきて植木にやっていた。そこに通りかかった救援の自衛隊員が、それを見て笑っていた。》
昨日のことのように思い出します。
そのkiyoが今は三人の子どもを育てています。
ほぼ一世代が過ぎたということ。
あっという間のような気がしますが。
二冊の震災誌があります。
手作りの冊子。
散文で書いたものと詩集にしたもの。
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詩集の中の一篇「ヒマワリ」には曲をつけてくださる人があり、コンサートで演奏されたこともありました。
今日は、散文の中の一部を。
「水」の項目から、
《植木にやる水がない。人間が大変なのだから、植木の分までは確保できない。雨の日、道に出来た水たまりの水を、kiyoが缶ですくってきて植木にやっていた。そこに通りかかった救援の自衛隊員が、それを見て笑っていた。》
昨日のことのように思い出します。
そのkiyoが今は三人の子どもを育てています。