三木市の山崎啓治さんからお贈りいただいた。

うたあつめ『てんこもり』という私家版の冊子。
これまで、何冊か氏の詩集を読ませて頂いていますが、全編に飄々としたユーモアが漂っています。
まだ読み込んだわけではないですが、今回のもそんな感じですね。
「てんこもり」とあるように、詩だけではなく、川柳、俳句、散文など雑多に盛り込んであります。
あれ?目次がない、と思って「あとがき」は?と巻末を見ると、「あとがき」代わりの小文があって、こんなことが書かれています。
《何しろ器が小さく浅いのに凡句と拙作詩の合体で溢れそう、この似つかわしい綴りにと「てんこもり」と銘うった。以前の三冊に比べて着飾ることもなく、冊数も僅少、目次もないただの束ねて編んだシンプルなものとなったが、自分流仕舞い支度には十分すぎるととても晴れやかな気分である。》
そうですか、目次がないのも承知の上でのもの。
この雑多さが、いっそ清潔感を生んでるような気がします。
山崎さん、またお会いしたいな、その温かくもあっけらかんとした笑顔に。
『完本コーヒーカップの耳』

うたあつめ『てんこもり』という私家版の冊子。
これまで、何冊か氏の詩集を読ませて頂いていますが、全編に飄々としたユーモアが漂っています。
まだ読み込んだわけではないですが、今回のもそんな感じですね。
「てんこもり」とあるように、詩だけではなく、川柳、俳句、散文など雑多に盛り込んであります。
あれ?目次がない、と思って「あとがき」は?と巻末を見ると、「あとがき」代わりの小文があって、こんなことが書かれています。
《何しろ器が小さく浅いのに凡句と拙作詩の合体で溢れそう、この似つかわしい綴りにと「てんこもり」と銘うった。以前の三冊に比べて着飾ることもなく、冊数も僅少、目次もないただの束ねて編んだシンプルなものとなったが、自分流仕舞い支度には十分すぎるととても晴れやかな気分である。》
そうですか、目次がないのも承知の上でのもの。
この雑多さが、いっそ清潔感を生んでるような気がします。
山崎さん、またお会いしたいな、その温かくもあっけらかんとした笑顔に。
『完本コーヒーカップの耳』