喫茶 輪

コーヒーカップの耳

夕暮れの津門中央公園

2023-05-12 20:19:01 | まち歩き
昨日は歩かなかったので、今日、夕暮れにちょっと。
まだ手術痕が少し痛みますが、無理のない程度のウォーキングは主治医の許可をもらってます。
先日歩いたのと同じコースです。

浜松原橋から。




うちからすぐ近くにこんな鬱蒼とした林があります。



往復2300歩でした。
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灰谷健次郎さんと足立巻一先生のこと

2023-05-12 11:23:39 | 足立巻一先生
灰谷健次郎さんの『天の瞳』を読んでいるのだが。

この際、灰谷健次郎さんと足立巻一先生のことで思い出すことを書いておこう。
これまでどこにも書いてなかった(と思う)こと。
先ず、足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でのこと。

初期のころに一度灰谷さんが出席されたことがあった。
足立先生の奥様は出席されていたかどうかは覚えていないのだが、灰谷さんが次のようなスピーチをされた。
この通りではなく、要点のわたしの記憶。
「足立さんを僕は自分のお父さんだと思っています。まだ亡くなられたことが信じられないし、受け入れられません。
だからこれからも足立さんへの郵便物は足立巻一様で出します。奥さま宛には書きませんので、奥様お許しください」と。
もちろんこれはスピーチの一部ですが、この部分だけをわたしは記憶しています。

次に、最後に足立先生にお会いした時のこと。
わたしが先生に話しました。「灰谷さんを批判する本が出ていますが」と。
その本は『優しさまとめて花いちもんめ』(玉田勝郎著・風濤社・1984年10月刊)。
強烈な灰谷批判の本です。



すると先生は即座に「灰谷はいちいち相手にならないでしょう。彼は作品で答えますよ」と。
しかし、その時一つ、灰谷さんを批判して、「あんな本を出して…」と言われました。
そのあんな本とは、『お星さんが一つでた とうちゃんがかえってくるで』(灰谷健次郎編・理論社・1983年10月刊)。



わたしはその後、この本にはずいぶんお世話にななったものでした。
口頭詩についての講師を頼まれた時に大いに利用させてもらったのです。
しかし足立先生は「安易です」と。
これまで出した本からピックアップしただけのもので、出版社の「売らんかな」に乗せられたものだと。
もちろん足立先生ご自身が理論社から本を出しておられて、社主の小宮山量平さんを信頼し評価はしておられましたが。
この本についてはご不満のようでした。
「新しいものを出さねばなりません」とおっしゃいました。
要するに「苦労しなさい」ということだったのでしょう。
ただし、この本の中には次のような灰谷さんの言葉があります。
《足立さんとの出会いがなければ、今のわたしはないとしみじみ思います。》と。

時系列を書いておきましょう。
『お星さんが…』は1983年10月刊。
『優しさまとめて…』は1984年1月刊。
わたしが直接足立先生から話をお聞きしたのは、1985年2月。
そして、灰谷さんのスピーチをわたしが聞いたのは、多分1985年秋の最初の「夕暮れ忌」。

思い出すままに書きました。

『触媒のうた』 足立巻一先生のことを詳しく書いてます。


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