今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
今なら本屋さんで買えます。宮脇書店ダイエー西宮店(浜松原町)のノンフィクションのコーナーに有ります。
今村欣史の本。 『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
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今、「明石市立文化博物館」で企画展開催されている「村上翔雲展」(1月26日まで)には二度足を運んだ。
四区画のフロアに展開される作品群は大作がズラリと並んでいて圧巻。「凄い!」としか言えないが、わたしには小品にも注目させられるものがあった。会場内は撮影禁止なので図録から。
作品群の最後に、この小さな書が置かれている。縦270ミリ。横430ミリと400ミリ。
交通遺児の作文を書にしたもの。一見、わたしにも書けそうな気がする馴染みやすい字。でも書けないな。よほどの修練の末の文字だと感じる。
これを見て思い起こしたのが「書斎・輪」に飾っているこれ。
翔雲さんが拙詩を書いてくださったもの。詩集『コーヒーカップの耳』からの「亮介」だ。
実は翔雲さん、この「亮介」という詩を幾つも作品にしておられる。
ほかに色紙や、変形色紙、そして扇面などにも。よほど翔雲さんの心に響いた詩だったのだろう。
妻と二人で、交通遺児の作文の書を見た時、妻もすぐにこの「亮介」のことを言ったのだった。
そして二度目に訪れた時、解説役の六車氏と話した時に六車氏も「亮介」を思い起こしたと。
交通遺児の書は1971年のもの。そして「亮介」は2000年代だったはず。
翔雲師の心の中にはこの種のテーマがずっと流れ続いていたということか。
「書」の道には厳しかったが、心根は優しい人だったのだ。