喫茶 輪

コーヒーカップの耳

病院で読んだ本

2025-02-24 15:22:37 | 健康・病気
今日は渡辺脳心臓血管センターでの検査と診察の予約日。
心電図検査はすぐに済んで、診察待ち。
いつものことだがこれが長い。
予約時間を一時間以上待って、やっと呼ばれる。
診察室に入ると、H澤先生は電話中。忙しい先生だ。
で、心電図の結果を見ながら「どうですか?」とおっしゃる。
「お陰で昨年の手術以来元気にさせてもらってます」とわたし。
H澤先生からは、「心電図は問題なしです」と言って下さる。
やれやれホッ。
診察室に入ってから出るまで、約1分ぐらいか。
「ではまた3ヶ月後に」ということになりました。
このあとまた会計で少々時間が。
で、持って行っていた本『ひょうご現代詩集』をほぼ読み終えました。
しかし、わたしの肌にピッタリ合うような詩にはなかなか出合えませんでした。
昔は杉山平一先生の詩などお気に入りがあったものですが。
中で以倉紘平さんの「豊饒」は好きでした。
ただ惜しいかな、誤字が一字。
まあ、文意を変えるものではなく、誤植とわかるのが救いですが。
 
 
『完本・コーヒーカップの耳』面白うてやがて哀しき喫茶店。
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遠山さんの「おばちゃん」

2025-02-24 09:33:33 | 

今朝の神戸新聞「読者文芸」の特選詩です。

神戸新聞さん、遠山さん、記事拝借お許しを。

遠山耕二さんの「おばちゃん」ですが、いいですねえ。

ちっとも詩人ぶらずに平明な言葉で書かれています。

それでいて、無駄な言葉がなく、読む者の胸にじんわりと伝わります。

この詩を特選に推してくださった選者の時里さんに感謝です。

妻にも読み語ってやりました。

新聞の投稿欄はやはりこういった生活詩が主役にならないといけないと思うのです。

難しい詩人語が多用されるような詩は多少優れていてもこの欄にはそぐわないと思うのです。

もちろん、優秀な詩を落とす必要はないと思いますが。

昔、選者をしておられた足立巻一先生は、この欄で「優れた詩を落としたことはない」と言っておられました。

でも足立先生は、わたしが思うに生活詩を優先しておられたように思います。

多少完成度が足らなくてもその心を大事に見ておられた、とわたしは思うのです。

 

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