必要があって杉山平一先生の年譜を読んでいたのですが、本が大きすぎて不便なんです。
『杉山平一全詩集』の下巻の巻末に載ってます。
800ページを超える大冊です。
で、年譜のページだけをコピーして冊子にしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/90/c00648b04c61266430372e746727422d.jpg)
二段組で60ページを超えてます。杉山先生の自筆年譜です。
その冒頭にこう書かれています。
《大正三年(1914年) 十一月二日、福島県会津若松市に生まれた。というのも、父黌一が、神戸三菱電気より、猪苗代水力発電所(現東京電力)建設の発電機据えつけのための技術者としてその地に出向、滞在中だったからである。産婆が、母美登のおでこに聴診器を当てて、男か女を判断したという。雪の日は保温のため蚊帳を吊ったと後年母は語った。翌年、発電所は完成、一家は神戸へ帰任した。》
ご本人自筆の年譜ならではの記述です。
こんな感じで60ページ余り、一冊の読み物になっています。
これで手に持って読むのに便利です。
『杉山平一全詩集』の下巻の巻末に載ってます。
800ページを超える大冊です。
で、年譜のページだけをコピーして冊子にしました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/90/c00648b04c61266430372e746727422d.jpg)
二段組で60ページを超えてます。杉山先生の自筆年譜です。
その冒頭にこう書かれています。
《大正三年(1914年) 十一月二日、福島県会津若松市に生まれた。というのも、父黌一が、神戸三菱電気より、猪苗代水力発電所(現東京電力)建設の発電機据えつけのための技術者としてその地に出向、滞在中だったからである。産婆が、母美登のおでこに聴診器を当てて、男か女を判断したという。雪の日は保温のため蚊帳を吊ったと後年母は語った。翌年、発電所は完成、一家は神戸へ帰任した。》
ご本人自筆の年譜ならではの記述です。
こんな感じで60ページ余り、一冊の読み物になっています。
これで手に持って読むのに便利です。