退院後初めての図書館でした。

4200歩余り。
まだ手術痕は医療用テープで護られていますが大丈夫です。
お借りしたのは今村翔吾さんの『塞王の楯』。
予約したのは昨年の2月。
忘れたころに「準備が出来ました」のお知らせメールが届きました。

思いのほか分厚い本で、552ページ、目方は644グラムもあります。
帰りは暑くて汗をかきました。

4200歩余り。
まだ手術痕は医療用テープで護られていますが大丈夫です。
お借りしたのは今村翔吾さんの『塞王の楯』。
予約したのは昨年の2月。
忘れたころに「準備が出来ました」のお知らせメールが届きました。

思いのほか分厚い本で、552ページ、目方は644グラムもあります。
帰りは暑くて汗をかきました。
昨日は歩かなかったので、今日、夕暮れにちょっと。
まだ手術痕が少し痛みますが、無理のない程度のウォーキングは主治医の許可をもらってます。
先日歩いたのと同じコースです。
浜松原橋から。


うちからすぐ近くにこんな鬱蒼とした林があります。

往復2300歩でした。
まだ手術痕が少し痛みますが、無理のない程度のウォーキングは主治医の許可をもらってます。
先日歩いたのと同じコースです。
浜松原橋から。


うちからすぐ近くにこんな鬱蒼とした林があります。

往復2300歩でした。
灰谷健次郎さんの『天の瞳』を読んでいるのだが。

この際、灰谷健次郎さんと足立巻一先生のことで思い出すことを書いておこう。
これまでどこにも書いてなかった(と思う)こと。
先ず、足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でのこと。
初期のころに一度灰谷さんが出席されたことがあった。
足立先生の奥様は出席されていたかどうかは覚えていないのだが、灰谷さんが次のようなスピーチをされた。
この通りではなく、要点のわたしの記憶。
「足立さんを僕は自分のお父さんだと思っています。まだ亡くなられたことが信じられないし、受け入れられません。
だからこれからも足立さんへの郵便物は足立巻一様で出します。奥さま宛には書きませんので、奥様お許しください」と。
もちろんこれはスピーチの一部ですが、この部分だけをわたしは記憶しています。
次に、最後に足立先生にお会いした時のこと。
わたしが先生に話しました。「灰谷さんを批判する本が出ていますが」と。
その本は『優しさまとめて花いちもんめ』(玉田勝郎著・風濤社・1984年10月刊)。
強烈な灰谷批判の本です。

すると先生は即座に「灰谷はいちいち相手にならないでしょう。彼は作品で答えますよ」と。
しかし、その時一つ、灰谷さんを批判して、「あんな本を出して…」と言われました。
そのあんな本とは、『お星さんが一つでた とうちゃんがかえってくるで』(灰谷健次郎編・理論社・1983年10月刊)。

わたしはその後、この本にはずいぶんお世話にななったものでした。
口頭詩についての講師を頼まれた時に大いに利用させてもらったのです。
しかし足立先生は「安易です」と。
これまで出した本からピックアップしただけのもので、出版社の「売らんかな」に乗せられたものだと。
もちろん足立先生ご自身が理論社から本を出しておられて、社主の小宮山量平さんを信頼し評価はしておられましたが。
この本についてはご不満のようでした。
「新しいものを出さねばなりません」とおっしゃいました。
要するに「苦労しなさい」ということだったのでしょう。
ただし、この本の中には次のような灰谷さんの言葉があります。
《足立さんとの出会いがなければ、今のわたしはないとしみじみ思います。》と。
時系列を書いておきましょう。
『お星さんが…』は1983年10月刊。
『優しさまとめて…』は1984年1月刊。
わたしが直接足立先生から話をお聞きしたのは、1985年2月。
そして、灰谷さんのスピーチをわたしが聞いたのは、多分1985年秋の最初の「夕暮れ忌」。
思い出すままに書きました。
『触媒のうた』 足立巻一先生のことを詳しく書いてます。

この際、灰谷健次郎さんと足立巻一先生のことで思い出すことを書いておこう。
これまでどこにも書いてなかった(と思う)こと。
先ず、足立先生を偲ぶ「夕暮れ忌」でのこと。
初期のころに一度灰谷さんが出席されたことがあった。
足立先生の奥様は出席されていたかどうかは覚えていないのだが、灰谷さんが次のようなスピーチをされた。
この通りではなく、要点のわたしの記憶。
「足立さんを僕は自分のお父さんだと思っています。まだ亡くなられたことが信じられないし、受け入れられません。
だからこれからも足立さんへの郵便物は足立巻一様で出します。奥さま宛には書きませんので、奥様お許しください」と。
もちろんこれはスピーチの一部ですが、この部分だけをわたしは記憶しています。
次に、最後に足立先生にお会いした時のこと。
わたしが先生に話しました。「灰谷さんを批判する本が出ていますが」と。
その本は『優しさまとめて花いちもんめ』(玉田勝郎著・風濤社・1984年10月刊)。
強烈な灰谷批判の本です。

すると先生は即座に「灰谷はいちいち相手にならないでしょう。彼は作品で答えますよ」と。
しかし、その時一つ、灰谷さんを批判して、「あんな本を出して…」と言われました。
そのあんな本とは、『お星さんが一つでた とうちゃんがかえってくるで』(灰谷健次郎編・理論社・1983年10月刊)。

わたしはその後、この本にはずいぶんお世話にななったものでした。
口頭詩についての講師を頼まれた時に大いに利用させてもらったのです。
しかし足立先生は「安易です」と。
これまで出した本からピックアップしただけのもので、出版社の「売らんかな」に乗せられたものだと。
もちろん足立先生ご自身が理論社から本を出しておられて、社主の小宮山量平さんを信頼し評価はしておられましたが。
この本についてはご不満のようでした。
「新しいものを出さねばなりません」とおっしゃいました。
要するに「苦労しなさい」ということだったのでしょう。
ただし、この本の中には次のような灰谷さんの言葉があります。
《足立さんとの出会いがなければ、今のわたしはないとしみじみ思います。》と。
時系列を書いておきましょう。
『お星さんが…』は1983年10月刊。
『優しさまとめて…』は1984年1月刊。
わたしが直接足立先生から話をお聞きしたのは、1985年2月。
そして、灰谷さんのスピーチをわたしが聞いたのは、多分1985年秋の最初の「夕暮れ忌」。
思い出すままに書きました。
『触媒のうた』 足立巻一先生のことを詳しく書いてます。
今月二日に入院し、その日のうちに手術を受けました。
「殿部皮下軟部腫瘍摘出術」というもの。
予想していたより時間がかかって、手術室に二時間半ほどいました。
うつ伏せの姿勢がしんどかったです。
ふたりの看護師さんが度々「大丈夫ですか?」と声をかけて下さいました。
意識があるかどうかを確かめておられたのかもしれません。
局所麻酔でしたが、途中で度々麻酔が切れかかり、追加の注射をしてもらいながらでした。
二人の医師が頑張ってくださって、約二センチの腫瘍を摘出してくださいました。
小さな梅干しみたいな色と形でした。
手術直後に「悪性ではないですか・」と医師に訊くと、「悪いものには見えませんが、病理検査の結果を待ちましょう」とのことで、気持ちの悪いことでした。
12針の傷跡は、約7センチ。結構切られています。
六日に退院、そして今日、手術後最初の診察日でした。
医師の前に座ると、「まず、検査結果ですが」と言ってパソコンの画面を見ながら、
「血が凝固したもので、悪性ではありませんでした」と言ってくださいました。
「先生、こんなん症例の経験あります?」とお尋ねすると、「初めてです」とのこと。
原因も分かりません。
でもホッとしました。
追記 手術時間が長引いたのには理由があります。
腫瘍が、座るのに具合の悪い場所(骨と座る接点との間)に有りました。
なので、術後のことを考えて下さって、腫瘍の真上からではなく、ずらした位置を切開してのものだったのです。
さぞ切りにくかったと思います。
「殿部皮下軟部腫瘍摘出術」というもの。
予想していたより時間がかかって、手術室に二時間半ほどいました。
うつ伏せの姿勢がしんどかったです。
ふたりの看護師さんが度々「大丈夫ですか?」と声をかけて下さいました。
意識があるかどうかを確かめておられたのかもしれません。
局所麻酔でしたが、途中で度々麻酔が切れかかり、追加の注射をしてもらいながらでした。
二人の医師が頑張ってくださって、約二センチの腫瘍を摘出してくださいました。
小さな梅干しみたいな色と形でした。
手術直後に「悪性ではないですか・」と医師に訊くと、「悪いものには見えませんが、病理検査の結果を待ちましょう」とのことで、気持ちの悪いことでした。
12針の傷跡は、約7センチ。結構切られています。
六日に退院、そして今日、手術後最初の診察日でした。
医師の前に座ると、「まず、検査結果ですが」と言ってパソコンの画面を見ながら、
「血が凝固したもので、悪性ではありませんでした」と言ってくださいました。
「先生、こんなん症例の経験あります?」とお尋ねすると、「初めてです」とのこと。
原因も分かりません。
でもホッとしました。
追記 手術時間が長引いたのには理由があります。
腫瘍が、座るのに具合の悪い場所(骨と座る接点との間)に有りました。
なので、術後のことを考えて下さって、腫瘍の真上からではなく、ずらした位置を切開してのものだったのです。
さぞ切りにくかったと思います。
神戸のベテラン詩人、永井ますみさんからお贈りいただきました。

永井ますみ詩集『夜があける』です。
50ページ余りの詩集ですが、すべて新型コロナウィルスをモチーフにしたもの。
これは序詩「マスクは語る」の冒頭部分です。

このあとも7ページにわたって続きます。
しかし飽きさせません。面白いといったら語弊があるかもしれませんが、皮肉が効いていて痛快にも思えます。
みんな思っていても言葉に出せなかったようなことが書かれています。楽しくて、そして深刻な詩でもあります。
そして巻末の「夜があける」です。


「あとがき」もつけておきます。
ウィルス側から人間を見ています。なので客観的です。わたしは意表を突かれました。
間に置かれている詩もみな客観性に優れていて、後の世のためになる貴重な記録詩とも言えます。
読んで楽しい「コロナ詩」は少ないのでは?
『コーヒーカップの耳』 おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。

永井ますみ詩集『夜があける』です。
50ページ余りの詩集ですが、すべて新型コロナウィルスをモチーフにしたもの。
これは序詩「マスクは語る」の冒頭部分です。

このあとも7ページにわたって続きます。
しかし飽きさせません。面白いといったら語弊があるかもしれませんが、皮肉が効いていて痛快にも思えます。
みんな思っていても言葉に出せなかったようなことが書かれています。楽しくて、そして深刻な詩でもあります。
そして巻末の「夜があける」です。


「あとがき」もつけておきます。
ウィルス側から人間を見ています。なので客観的です。わたしは意表を突かれました。
間に置かれている詩もみな客観性に優れていて、後の世のためになる貴重な記録詩とも言えます。
読んで楽しい「コロナ詩」は少ないのでは?
『コーヒーカップの耳』 おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。
鞍掛郵便局まで歩いてきました。
2500歩余り。
12針の抜糸がまだですので、これ以上歩くのは自信がありません。
途中の東三公園です。

ここでもシロツメクサが満開でした。

『コーヒーカップの耳』 「喫茶輪」の歴史が詰まった本。
2500歩余り。
12針の抜糸がまだですので、これ以上歩くのは自信がありません。
途中の東三公園です。

ここでもシロツメクサが満開でした。

『コーヒーカップの耳』 「喫茶輪」の歴史が詰まった本。
まだゆっくりと座ることが出来ないので今日も一日家でゴロゴロしてました。
なので、運動のために夕方少し歩いてきました。
多少のウォーキングは医師からOKが出ています。
津門中央公園を一周。新緑がきれいでした。

ちょっと前までは桜が美しかったのですが。
そして公園の南端です。

ここは初孫のkohが幼い頃、よく連れてきていたところです。
その頃、川には大きなコイがたくさんいましたが、今日は一匹も見ませんでした。
シロツメクサもあちこちで満開。

ここは住江公園。やはり何年か前に孫のsatoたちと来て四葉のクローバーを探したのでした。
そしてたくさん見つけたました。
約2000歩。まだ手術あとには糸が十何針残ってますので無理はできません。
ぼちぼちと回復を待ちます。
なので、運動のために夕方少し歩いてきました。
多少のウォーキングは医師からOKが出ています。
津門中央公園を一周。新緑がきれいでした。

ちょっと前までは桜が美しかったのですが。
そして公園の南端です。

ここは初孫のkohが幼い頃、よく連れてきていたところです。
その頃、川には大きなコイがたくさんいましたが、今日は一匹も見ませんでした。
シロツメクサもあちこちで満開。

ここは住江公園。やはり何年か前に孫のsatoたちと来て四葉のクローバーを探したのでした。
そしてたくさん見つけたました。
約2000歩。まだ手術あとには糸が十何針残ってますので無理はできません。
ぼちぼちと回復を待ちます。
「天の瞳」成長編Ⅰを読んでいる。

こんな言葉が出てきた。
「セクハラ」。
平成11年(1999年)初出だから、24年も昔の本なのに。
その頃もうこの言葉があったというわけだ。
調べてみると、1989年の流行語大賞、新語部門金賞受賞。
その時すでに10年が過ぎていたのだ。
ちょっと驚き。

こんな言葉が出てきた。
「セクハラ」。
平成11年(1999年)初出だから、24年も昔の本なのに。
その頃もうこの言葉があったというわけだ。
調べてみると、1989年の流行語大賞、新語部門金賞受賞。
その時すでに10年が過ぎていたのだ。
ちょっと驚き。
昨日、Nさん来訪。
病気見舞いに来てくださった。
たまたま入院中にわたしのスマホに電話があってのこと。
病院への見舞いが叶わないということで退院してからに。
この人とのお付き合いはもう長い。
まだ喫茶店を始める前のこと。
毎週一度、うちに将棋を習いに来ておられたのだった。
喫茶店を始めてからうちの家が忙しくなりそれは途絶えたのだが。
しかしその後、彼が務めていた会社を退職してから、用海公民館での将棋会に参加して来られて、また交流が始まった。
彼とわたしは同い年。
そして、彼は10年前に狭心症を患って、ステント治療を受けておられる。
わたしも5年前に同じ狭心症で救急入院の経験がある。
同病なのだ。
昨日も、カウンター席でひとしきり病気談義だった。
「医学の進歩はありがたいね」などと。
『コーヒーカップの耳』 おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。墓雪談議も色々と。
病気見舞いに来てくださった。
たまたま入院中にわたしのスマホに電話があってのこと。
病院への見舞いが叶わないということで退院してからに。
この人とのお付き合いはもう長い。
まだ喫茶店を始める前のこと。
毎週一度、うちに将棋を習いに来ておられたのだった。
喫茶店を始めてからうちの家が忙しくなりそれは途絶えたのだが。
しかしその後、彼が務めていた会社を退職してから、用海公民館での将棋会に参加して来られて、また交流が始まった。
彼とわたしは同い年。
そして、彼は10年前に狭心症を患って、ステント治療を受けておられる。
わたしも5年前に同じ狭心症で救急入院の経験がある。
同病なのだ。
昨日も、カウンター席でひとしきり病気談義だった。
「医学の進歩はありがたいね」などと。
『コーヒーカップの耳』 おもしろうて、やがて哀しき喫茶店。墓雪談議も色々と。
退院の前日に主治医に尋ねました。
「運動不足になってますので、歩いたらあきませんか?」と。
「いいですよ」と言って下さったので、部屋の中を熊みたいに歩き回りました。
がんばってやっと1000歩でした。
昨日は雨でしたので、家にこもってました。
そして今日、ちょっと歩いてきました。
郵便を出しに行ったついでに町内をぐるりと。
約2000歩でした。
写真は雨上がりの六湛寺川です。

『コーヒーカップの耳』 哀しくて、やがて愉快な喫茶店。
「運動不足になってますので、歩いたらあきませんか?」と。
「いいですよ」と言って下さったので、部屋の中を熊みたいに歩き回りました。
がんばってやっと1000歩でした。
昨日は雨でしたので、家にこもってました。
そして今日、ちょっと歩いてきました。
郵便を出しに行ったついでに町内をぐるりと。
約2000歩でした。
写真は雨上がりの六湛寺川です。

『コーヒーカップの耳』 哀しくて、やがて愉快な喫茶店。
今日からシャワーがokということで、ガーゼを外して6日ぶりに石鹸で体を洗いました。シャンプーもしました。
まだ抜糸はできてませんので浴槽には入れません。
もちろん手術箇所は洗えません。
でも久しぶりにスッキリしました。
まだ抜糸はできてませんので浴槽には入れません。
もちろん手術箇所は洗えません。
でも久しぶりにスッキリしました。