地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

松林山 禅長寺

2005年07月08日 05時19分03秒 | 佐渡歴史

 野芝の美しい境内。禅長寺は赤泊港からはほど近く、無理をすれば徒歩でも往復できる距離にある。決して大きな寺ではないが、さりとて佐渡島内にあっては小さなものでもない。訪れたこの日は鐘の音が本堂から聞こえていた。朝のお勤めの時間だったのかも知れない。

道路から境内を望む。

 山門脇より本堂を。

 

  さて、下記は現場で見つけた佐渡百選の説明書きと寺の要覧などからの資料である。

<佐渡百選の説明書きより>
 京極為兼が佐渡に流された時、往復の旅宿であったといわれる寺。為兼がこの寺での祈願で帰京できたところから、帰京観音の名で信仰される仏像や佐渡七福神の一つ京極毘沙門天図が安置されている。

 <寺の要覧とご住職の話より>
 創立が天長四年(827)と言い伝えられる。開基は天徳三年(959)啓山法花澄海に依り復旧開基とある。本尊は聖観世音菩薩(大正六年初代宮田藍堂作)。佐渡新四国第十六番札所。

絨毯のような野芝が美しい。

  現在の本堂は明治三十一年二月十一日全焼した後、明治三十七年(1904)に再建されたものという。寺のご住職の話では内輪もめが原因での全焼と聞く。

  さて、きれいにしている芝の手入れが大変では? とたずねると。謙遜気味に”たいして手を入れているわけでは...”と話されていた。ご住職からはこの後も色々話を聞かせていただき、楽しい一時を過ごせた。

鐘楼。ちゃんと鐘もある。

  要覧ではさらに同寺の歴史上の事柄もふれている。  「玉葉集」(勅撰和歌集)の撰者大納言京極為兼卿が、永仁六年(1298)に配流の身となり、嘉元元年(1303)に帰京するまでの約六年間当寺に寓居せられたと伝えられている。
 明治三十九年(1908)写生文作家・長塚節が当寺にて演能を鑑賞している。

本堂近影。

京極為兼については下記サイトが詳しい。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tamekane.html

長塚節については下記URLがよいか?  http://www.town.ishige.ibaraki.jp/takasi/syoukai.html
http://www013.upp.so-net.ne.jp/karotousen/mylink2.html
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N205C100.HTM

掲載された写真<撮影:2005.6.30> 


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2 コメント

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 (思ったこと(管理人))
2005-07-09 06:39:46
管理人様 おはようございます



趣のある寺院ですね



平安の時より伝わるものは



重みもありますね。





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Re.趣 (かんりにん)
2005-07-09 07:20:46
思ったこと(管理人)様



同寺はあまり観光コースの中に組み入れら

れるような寺ではありません。

佐渡には、こういった寺などにも独特の趣

を持ったものもあります。

佐渡はかつて天領。江戸幕府の施策が徹底

していたのでしょうか。

一村一寺ということで寺だらけです。

過疎化の進行と共に廃寺となったものも数

が多いようで、住職の兼務があるようです。



ということも禅長寺の住職に聞いた話でし

た...。(笑)
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