ミシハセとは粛慎と呼ばれるツングース系民族のこと。ツングースについての詳細は、ウィキペディアなどでご覧いただきたい。リンクしたサイトでは、北東アジアに住むツングース諸語に属する諸族とある。今ではエヴェンキと称されるのが一般的のようだ。
さて、ここで出くるミシハセとは粛慎(ツングース系民族)のことをさしているが、資料に依れば、日本書記にその記述が残るという。下記はそのことを記した説明書きからの書き写しであるが、一読いただきたい。
▲説明書きの看板
この話は日本書記にあるもので、佐渡の地名が初めて出る記録です。「欽明天皇の五年(五四四)佐渡へ粛慎(ツングース)人がきていた。やがて、禹武邑(うむむら)の地がかすめ取られたが、土地の神様が怒ったので、おおかたは毒水にあたって死んだ。その地を粛慎の隈(クマ)という」とあるものです。 しかし、長い間にその場所もわからなくなってしまいましたが、田屋の八百比丘尼が教えてくれたのが、ここだということです。 この奥100m
ここからすぐ近くの所に蝦夷塚という塚がある。「小さな標識に昔の古墳と思われる」とあるが、だてに蝦夷と名付けることもないと思われる。何か古代にこの地と蝦夷(粛慎などもその類)との関わりがあったに違いない。佐渡には夷・狄と書いてエビスという地名がある。対岸の国々との交流によるものであろう。ロマンを感じざるを得ない。
▲蝦夷塚
さて、看板の指示どおり奥へしばらく歩いたが、ここという場所を特定できずに引き返す羽目になった。もしやというものがなかったわけではないが、一般家庭の裏庭である。この地に詳しい人か、教育委員会の学芸員の同伴でもなければ特定は難しい。
▼ウィキペディアでの粛慎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9B%E6%85%8E
佐渡の歴史にかかわるだけでなく、この民族と日本は関わりがあったようだ。
▼ウィキペディアでの皇極天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E6%A5%B5%E5%A4%A9%E7%9A%87
阿倍野比羅夫の蝦夷平定事業の際に粛慎との関わりがあったようだ。斉明天皇3年の欄参照。
▼満州族の祖先粛慎人及び靺鞨人と日本の親縁(←粛慎←満州族←朝鮮工程←ジオシテイーズ)
http://www.geocities.jp/intelljp/manju/shukushin/japan.htm
▼『晋書』『四夷伝』粛慎氏伝(ジオシティーズ内から)漢字のみの内容不明の記述。理解できぬ自分が嘆かわしいが、冒頭は”肅慎氏一名挹婁,在不咸山北,去夫餘可六十日行。”と始まる。 http://www.geocities.jp/intelljp/cn-history/shin/shukushin.htm
▼阿倍野比羅夫の遠征(みちのく逍遙から)
http://maoda.hp.infoseek.co.jp/hirafu2.html
▼とりとめのない話(←辛酉夜話←ニフティー)
http://homepage2.nifty.com/H-Suga/zatuwa.html
ミシハセ。古代史ロマンを感じる言葉である。ちなみにGoogle等でミシハセをキーワードに検索をかけると粛慎と出てくるが、よく見るとアシハセとも呼ばれるようである。
現場は旧羽茂町大石地区。海沿いの道には蝦夷塚というバス停がある。そのバス停からしばらく羽茂川方向へ歩くとミシハセのクマの看板がある。歩いてみないとわからぬが、付近の集落のほとんどは沿岸に平行する砂丘上に有ることに気付いた。
日本書記は日本書紀と書くべきなのではないだろうか..。
ここでは、説明書きの看板の表現をそのまま採用した。