両津の市街から加茂線というバス路線を郊外に向かっていくと、以前紹介した羽吉漁港のある吉住に至る。この吉住の隣は椿という集落だが、この辺は目立ったものはないものの、中小の寺社や 堂などが点在している。椿というと利済庵を思い出すが、加茂線沿いで見かけた常慶寺と荒崎神社 を紹介する。▼で始まる文はそれぞれの説明書き看板からの書き写しである。
▲常慶寺
▼快嶽山常慶寺 本尊 文殊菩薩 曹洞宗 利済庵末寺
応安(一三六八~七八)のころから馬首村にあった常願寺を、吉住城主が椿に移し城見寺と改称 したと言われる。もと利済庵のあった二貫地に、常慶寺跡の地名が残っているところから、一時そ の地に移されたものと思われる。
その後、本間山城守正晴の代に現在の地に移し、吉住城主の菩提所とした。天正十七年(一五八 九)上杉景勝の佐渡後略により、城主不在となり寺運も一時衰えた。さらに、慶長十七年(一六一 二)には大雨で本城が崩壊、寺の建物も埋没した。再建したのが利済庵五世丘山清虎和尚(寛永十 二年-一六三五没)で、両寺を兼住し常慶寺一世となった。
現在の本堂は、文政十三年(一八三〇)建てられたものである。
▲荒崎神社
▼荒崎神社 祭神 迦具土命(かぐつちのみこと)
宝暦寺社帳に「荒崎大明神、社人助右エ門、当社永享十午年(一四三八)勧請、社地弐畝歩御除 」とある。
利済庵の鎮守であったものが村の産土神として祀られたといわれている。その名残であろうか、 以前は元旦の早朝に利済庵の僧侶が読経をしてから、参拝者が新年のあいさつを交わすという風習 があった。
祭神「迦具土命」は伊邪那美命(いざなみのみこと)の子で火の神であるところから、火を使う 塩釜に関係がある神社といわれている。境内からは、縄文土器・石鏃(やじり)などが出土してい る。
吉住や椿は、観光で佐渡を訪れる者にとっては、軽く通り過ぎてしまう集落。そんな場所にもさ さやかな歴史があるという事を感じる。今回は利済庵が紹介できなかった。名前は聞き及んでいる ので、次回の取材時にはたずねてみたい。
2005.10.6 ご指摘があり、住吉を吉住に訂正。うっかりしていました。
<写真撮影:2005.8.13> 2005年 地理の部屋と佐渡島
いつも拝見しております。相変わらずご多忙みたいですね。地名が気になったのでコメントします。加茂線にあるのは「吉住」ですよね。「住吉」は東海岸線にある地名かと。
うっかりしていました。
吉住です。
おおせの通り住吉は川崎方面です。
いつもご覧いただいているとのこと。
感謝です。
時折こんなうっかりがあるかも知れません。
何かの時は又お願いしたいものです。
これより訂正いたしますね。