ようこそ。 地理の部屋と佐渡島へ。513
五木寛之氏の著作(東京書籍・1200円)である。
著者の書いた前書きには、『歎異抄』は、悲痛な歎きの書であるという。
とりわけ信仰心を持っている訳でもないし、宗教に深い興味があるわけでもない。ただ、人は年齢を積み重ねていくうちに、次第に引きつけられていくのかもしれないとは思うことがある。
読み進んでいくと、易業ということの真意や、「阿弥陀仏」を唱えることによる他力本願のありようをかいま見る感じがする。そして、人がなぜ信仰を深めねばならぬかも。
過去、難しい言葉が書きつづられたものを手に取ったことはあったが、決して読むことはなかった。現代訳されたものであるから手を出したが、それがよかった。実にわかりやすい。鎌倉時代末期、親鸞の弟子唯円が書き残したものが原著の『歎異抄』である。
【歎異抄(たんにしょう)・関連サイト】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8E%E7%95%B0%E6%8A%84
歎異抄 - Wikipedia
http://www.otani.ac.jp/tannisyo/index.html
歎異抄の世界 -大谷大学
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kouzanji/tanni.htm
歎異抄 (原文) -高山寺
http://www2.saganet.ne.jp/namo/sub5.htm
思い出すのは① ⇔ 歎異抄・現代語版①
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Shikibu/8416/tannni.htm
歎異抄の解説
http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/tanni/tanni-21.htm
歎異抄用語解説
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写真撮影:2008.03.02(スキャニング)
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2008年 地理の部屋と佐渡島 yokoso_513
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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昨日此方瀬戸内は、向かいの宮島が霞むほど黄砂で大変でした。おまけに雨も降り出し、車も砂だらけです。
爺の雪中のウオーキングの閲覧に感謝致します。
難しい本は余り読みませんが、年をとって来ると自然に宗教に興味を持って来る様になるのは確かです。
小生もブログ取材を兼ね今年一年かけて、四国八十八箇所巡礼めぐりをしてみようと思っています。
表紙の枯れ、お花のイラストに凄く惹かれます
父母が永平寺に祭られて居ます、この頃から、
少しですが仏教本に興味を持ち、読みました、
仏教由来から、現代まででしたが、厳かで
涙もでてしまいました、
身内に不幸が有りますと、浄土などが
気に成る物ですね
お釈迦様も歳取って腰が曲がり世の悪臭が身についてから信心しても本当の信心は身に付かない、と言っています。
宗教に興味を持つ入り口はどんなことでもかまわないと思います。
佐渡地理さんのように若い人こそ宗教に興味をもって勉強してください。
読んでみたいです。
また教えてください。
変わらぬものを求めて、人は探求するのでしょうね。
多様な現代社会を喝破した親鸞の道を、更に深めることになったのでしょうね。
五木氏の解釈も楽しいかもしれませんね。
それが自然の成り行きであれば
それに従うも良いものと思います。
数多くの先人たちがそうであった
のには意味が必ずあるはずですか
ら..。
そう思ったらためらいはいりませ
んよね。私はそう思います。
父母も含め、死ぬまで元気でやれと
子の世代にありながら訴えています。
その父母世代には仏に拝むもの多く、
当方としてはそれはそれで当然のこ
となのだろうと見ています。
順序立てて、やがて当方もそうなる
のかもしれませんが、全くそれに逆
らうきもありません。
ただ、今でもそうですが、火葬され
たら、さぞ熱いだろうなぁと思って
います。死んでいるから感じないと
言われてもです。
大先輩の言葉。厳粛にであります。
仏教という大まかなものではない。
浄土真宗という狭い枠にとらわれ
てもならぬと思いますが、「業」と
か「輪廻転生」とか、「因果応報」
とか..。
その言葉の持つ意味なんかを考えま
すと、妙に哲学的気分から身の有り
様を正したくなるのもあります。
仏教は生き方の奥義を語っているの
かもしれません。信仰はどのような
神を信じようとも良いのかもしれな
い。むしろその宗教心の欠如を気に
病みます。