写真撮影:2004.10月
2004年10月23日。午後5時56分。大きな揺れが旧川口町を震源に起こりました。強い揺れが短時間のうちに三度。町中心に近い住宅地に住まうわが家に大きな被害は無かったものの、市内各地並びに中越地方に大きな被害をもたらすことになりました。
地震発生後すぐに電気・電話・ガス・水道。ライフラインの一切が停止。ラジオ以外に何が起こっているのかが分からぬようになりました。携帯がつながるようになると、むしろ遠方の人たちからとんでもないことになっているぞと聞かせれる始末でした。
あれから15年、地理佐渡開設からほぼ二週間後に大きな災害が発生。これ以降地理佐渡は震災記事を中心に、被災地の風景を紹介することになったのです。被災した各地に出向き、時にはその地域の住民に色々失礼したかも知れないのですが、こうした風景をデータとして残せたのは小さな誇りです。今振り返ってみても相当な量の写真点数となっています。あの頃は130万画素のデジタルカメラ。それでも今思うとそれでもこれだけできたという思いです。
Photo-01 15年前は日産プレーリーに乗っていました。
Photo-02 仕事の関係で高町団地へ来た時の風景です。
Photo-03 団地外周の道路が斜面を滑り落ちていました。
Photo-04 傾斜のある所は至る所で崩落がありました。
Photo-05 帰りの国道17号・高畑の交差点付近です。至る所でこうでした。
Photo-06 道路は至る所で波打ち、継ぎ目が広がったりしていました。
Photo-07 団地の近くに柿川という小河川がありますが、崩れた土砂が川を防いでいました。
注:写真のデータの日付データ
が全く別のものになっていましたので、
撮影日が特定できませんでした。
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写真撮影:2004.10月
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2019年 地理の部屋と佐渡島 yokoso_1227
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http://blog.goo.ne.jp/dachasnowman/
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記録写真、カメラに良く収めて居ますね。
15年前、私は何をしていたでしょう。
地震発生時の対処、慌てないように常々考えて
置かなければなりませんね。 反省して居ます。
あれから15年たちましたか。
当方は、今、15年目を走っていますから、自身の翌年からですね。
画面を見ると、自然の脅威の恐ろしさが伝わってきます。
当地も、南海地震がいつ起きてもおかしくないといわれて、大分経ちます。
最近は地震でなくても大きな被害があります。
台風19号の道路や交通機関の被害は地震
以上でした。
昨日は一日祈念式典行事をテレビで拝見しました。令和の新時代に弥栄で~す!
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私の方では家の前の大きな公園に仮設住宅が出来て
少し落ち着いたころです。
本当にこういう写真は記録と残ていてよかったですね。
地震被害の画像を拝見していたのが15年ほど前になったようですね。
当時報道でよく見聞きしていた山古志村はいまや長岡市になり時の流れを感じますが。
阪神・淡路大震災以来の地震被害の大きさに驚いたことを思い出します。
いまや地震に限らず災害が身近に迫ってくるようになってきた日本のように感じています。
もう一度、まさかの地震に対する対策を真剣に考えよう。という気にさせられました。
新潟日報も大きな扱いをして
ページを割いていました。
やはりあの惨事は忘れられま
せん。
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■つちやさんへ。
たまたまです。当方がブログ
を始めていたからです。そし
て、基本を地元学においてい
たからです。
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■mcnjさんへ。
そうですか。当方は2004年10月10日
サイト開設。そしてその約二週間後
に地震発生となったのです。
紹介しています写真以外にも色々な
写真を撮影しています。1万を超え
るかどうか分かりませんが、撮影し
ている枚数はそんな単位で語れます。
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■山小屋さんへ。
震災は一瞬の破壊がスタートです。
予防は難しいです。
水害は事前にある程度予測が立ち
ますが、始まると食い止められま
せん。
水害にはハザードマップがありま
すので、それに基づく備えはある
程度できます。
火災は不注意や不慮の出来事です。
なお、台風19号は分かっちゃいた
けどやっぱりなという感じでした
ね。ただ、備えをすると言うこと
はそれなりの出費と不便も..
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■ひろし曾爺1840さんへ。
ありがとうございます。
地理佐渡は震災後の新潟県とともに
歴史を刻んできた感じです。
流石にもう災害ネタをおうのもいや
ですが、地理学との関係はやはり深
いので、気になりますねぇ。
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■hirugaoさんへ。
そうでしたか。そちらは阪神淡路で
すね。仮設住宅。こちらでは線路を
挟んだ向こう側に大きな住宅街がで
きました。JR東日本の遊休地でし
た。
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■裕さんへ。
そうですね。よく覚えていらっしゃ
る。山古志村は今や長岡市です。
震源地の川口町も同様です。
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■ディックさんへ。
はい。太平洋側は特に南海トラフが
起こす海溝型地震が心配です。神奈
川も沿岸部の津波被害は気にしてい
なくちゃいけません。
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この時は東京にいましたが、帰郷できたのは
かなり後でした。新幹線で途中まで行けるよう
になり、そこから長岡までバスで行きました。
大学4年(昭和39年、1964年)のとき新潟市で
新潟地震を経験しました。大地震でしたねぇ。
新潟県は地震が多いですね。
被害が大きかった中越地震が、ブログスタートでしたか。
私の所は今年で10年目、スタートは金魚ブログでした。
現在はメインが写真ブログに変わっていますが、金魚関係は、
過去の資料が今頃に活きて来るのを感じます。
記録を振り返る、見直す、今後に活かす
この3つは今回の台風19号災害でも大事だと。
阪神大震災から24年、今住んでいる近隣は大きな被害が出ましたが、道一本違うと全く違う被害状況でした。しかし、
今や痕跡は有りません。