シラス国の軍の司令というのはウシハク国のそれとは心構えが違うようです。 と言うか、その心を持たないトップにしたがう部下は悲惨でしょう。これこそがシラス国の真骨頂なのでしょう。
ねずさんが今回も玉井司令を取り上げてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとより 2023/11/11
素性法師と玉井浅一司令
・・・略
武将であれば、国を護るために戦わなければなりません。
けれど戦えば、敵味方を問わず、尊い命をたくさん失うのです。
戦えば人が死ぬのは当たり前と、人の命をなんとも思わない将軍や王が、世界の歴史にはたくさん登場します。
しかし日本の将は、昔も現代も部下たちの命を、どこまでも大切にしてきたのです。
素性法師の歌は、そういう日本の武人の心を、見事に象徴した歌です。
この歌を百人一首に選んだ藤原定家は、この歌の詠み手の名前に、元の左近将監だった頃の良岑玄利の名ではなく、そっと「素性法師」と添えています。
その心、それが、古来変わらぬ、日本人の心なのだと思うのです。
人には言葉にできない思いがあります。
その言葉にできない思いを描くために、万言を用いるか、それとも短い言葉にその思いを凝縮するか。
それは文化の違いといえるかもしれません。
日本人は、たった三十一文字の和歌の中に、伝えたい思いを凝縮する技術を築きました。
そしてその和歌の心が、いまなお、多くの日本人の心の中に息づいているのです。
こういう心を大事にしてもらいたいものです。これはシラス国であるにほんだからこそ持つ心意気なのかもしれません。
それを忘れないというか取り戻す日本であって欲しいものです。出来るでしょうか。
シラス国という日本の文化の素晴しさを日本人が忘れさせられて目も当てられぬ劣化を齎してしまったと嘆いていましたが、ねずさんがそんな考えに考え違いを教えてくれています。
やはり、日本はシラス国の心を取り戻すべきということです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/10/20
あまりてなどか人の恋しき
・・・略
これが日本の文化です。
個人的にこの歌が好きなのは、これはどのような仕事をしていてもあることですけれど、何事かをしようとすれば、必ず、少し極端な言い方をすれば、利害の衝突や闘諍(とうじょう)、あるいはもっといえば戦いがあるものです。
悪口や中傷を受けるくらいは、ある意味、あたりまえのことでもあります。
そしてわが国は、大陸や半島と違って、反対意見を持つ者だからといって、軽々にその人達を8000万人も虐殺したり、北の共産党員かもしれないというだけで、数百万人を虐殺したりするような、横暴な文化を持ちません。
たとえ、敵対し、対立していたとしても、どこまでも話し合いを重んじ、相手の立場や思いを尊重しながら、ともに生きていくというのが、わが国の古来からの文化です。
従ってこのことは、何事かをする人は、常に反対者や悪意ある中傷をする人たちと共存していくしかないという、選択しかないことを意味します。
何事かをする人は、常に反対者や悪意ある中傷をする人たちと共存していくしかないものです。
それでもどうしてがんばるのかといえば、「あまりてなどか人の恋しき」だからです。
これをわが国では、古来「正義」と呼びます。
わが国では「愛こそが正義」なのです。
「愛こそ正義」か。これこそがシラス国の真髄でしょう。もう一度日本がシラス国を取り戻すことが出来るでしょうか。
それが出来ないようでは日本にもう将来は無いでしょう。
神功皇后を「じんぐう」じゃなく「じんこう」と読んでいました。これも学校で教わらなかった訳もあります。
本当の読み方を知ったのはやはりねずさんにおしえてもらったからでした。当然、何をされた方かも全く知りませんでした。
今回も、その神功皇后をねずさんが取り上げてくれています。
こういうことを教えない日本の教育には本当に怒りしかない。それ程に、日本人が誇りを持つことが嫌なのでしょうか。これも、特亜3国に日本の教育界が籠絡されているということじゃないでしょうか。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/10/16
神功皇后の御功績
・・・略
尋常小学読本(国定読本第1期)
第18 神功皇后
神武天皇よりすこしあとの仲哀天皇の時代、わが国のうちの西の方に悪者どもがいて、たいそう我がままをしていました。
天皇はその皇后の神功皇后と申す御方と、それを攻めにおいでになりました。
ところが戦いのさなかに、敵の矢を受けておかくれになりました。
神功皇后は、
「この悪者どもが
わがままをしておるのは
外国の者が扶(たす)けているからだ。
だからその外国を攻めたら
この悪者どもは
わがままをやめるであろう」
とお思いになりました。
そこで神功皇后は、男装して海を渡り、その外国を攻めにおいでになりました。
すると向かう国では、たいそう畏(おそ)れて、戦(いくさ)もせずに、降参してしまいました。
そして毎年、宝物をさしあげますと約束しました。
皇后は、それを許して、お帰りになりました。
それから西の方の悪者どもは、わがままをしないようになりました。
またわが国の強いことが、前よりもよく外国に知れるようになりました。
****…中略
それが神功皇后によって半島が倭国の領土の一部になったことによって、半島は独立を守ることができるようになりました。
理由は、ある意味簡単なことです。
倭国には鉄の武器があったからです。
これは刀槍の時代に鉄砲が圧倒的な力を持ったのと同じで、青銅器の武器や防具に対して、鉄製の武器や防具は圧倒的な力を持ちます。
要するに半島は、神功皇后の功績によって、国を、そして民族を保持できることになったのです。
このことは日本も同じです。
いくら鉄の武器を持っているとは言っても、チャイナの人口圧力の前には、大変な国難が待ち受けることになります。
そしてさらに、のちの時代に隋や唐といった強大な軍事超大国がチャイナに成立したとき、チャイナは昔から「遠交近攻」です。
半島が隋や唐の一部なら、その隣国は日本です。
日本は、攻略の対象になるのです。
ところが隋や唐にとっての半島の隣国は、いまの北朝鮮にあたる高句麗です。
そしてこれが隣国であれば、遠交近攻戦略に従って、その向こうの国が調略の対象となります。
ところがそこに、百済と新羅という二カ国があったのです。
すると、新羅を調略すれば、新羅は百済に警戒されるし、百済は高句麗と結んで新羅を叩く。
百済と結べば、新羅が黙ってないといった具合に、そこ2国が存在していることが、遠交近攻戦略にとって、実は大変大きな障害になります。
倭国は、さらにその先にある国です。
こういう一連の流れの形成の中に、神功皇后による朝鮮征伐があります。
そして日本は、歴史の最良のタイミングで神功皇后の朝鮮征伐が行われ、それにより、たった一度のモンゴルの大帝国による元寇以外は、日本はずっと対外戦争から平和を保ち続けることができてきたのです。
神功皇后のご功績は、偉大なのです。
そして、そのことの意味をしっかりと教育することこそ、日本の教育再生といえるのではないでしょうか。
戦後の劣化した日本こそ戦後教育が特亜3国やアメリカによって仕掛けられたに目覚めて、教育の再生することこそが必須です。
それが出来ないようでは日本の未来は無い。それに動かない政治家を代えるしかないでしょう。
ねずさんが頼朝を政治の天才と書いてくれています。この素晴しさを教えてもらえなかったので、こういう発想は全くありませんでした。
これだけ日本にとって重要なことを教えない教育はやはりおかしい。このシラス国という誇れる日本を知っているかどうかで日本人の国に誇りを持てるかどうかも決まるというものです。
やはり、日本の教育界は日本が大嫌いなようです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/10/12
鎌倉に幕府ができた理由はシラス国の再建にあり
・・・略
「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」
子供の頃、年号の暗記で、このように記憶した方は多いかと思います。
鎌倉幕府の成立といえば、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年がそのはじまり、と私たちは学校で教わりました。ところが最近の歴史教科書では、鎌倉 幕府の成立は1185年、つまり源平合戦で壇ノ浦の戦いが行われた年が鎌倉幕府の成立だと教えるものがあるのだそうです。たいへん残念なことですが、これ は、まったく日本の歴史をわかっていない者の歴史認識ということができます。
なるほど1185年に壇ノ浦で平家を滅ぼした源氏は、この時代にあって国内最大の武力を持つ集団となりました。その武力をもってすれば、朝廷そのものを 打倒して、日本にまったく新たな政権を築くことさえも可能な情況でした。ところが源氏の棟梁である源頼朝は、意図して天皇の部下である征夷大将軍となる道 を選択しています。また幕府というのは「出征中の将軍の府署」のことをいいます。将軍は、王でも皇帝でもありません。王や皇帝の部下です。つまり王や皇帝 の御在所が別にあるから、将軍の出先が幕府となります。
頼朝の後、700年ほど続く武家政治のすべてが、この幕府という方針を継承しています。つまり1192年に頼朝が征夷大将軍に任じられ、鎌倉が幕府と なったことで、「日本の民は天皇のおおみたから」という国家の根幹となる柱が継承され、それが今日まで続く日本の姿となっています。・・・中略
いまの時代、頼朝が鎌倉幕府を開いたということは学校で教わっても、なぜ鎌倉に幕府を開いたのかについてを教わることはありません。もちろんそれは諸 説あることです。どれが正しいとはいえないことであることも事実です。けれど「どれが正しいかわからないから教えずに、そこは避けて通る」ということで は、教育の名に値しないと思います。そうではなくて、「なぜそうした選択をしたのか」を考えながら、自分なりの答えを見出していくことこそ、新時代を切り 開く知恵と勇気を与えることになるのだと思います。
日本は、天皇を中心とし、天皇によってすべての民衆が「おおみたから」とされるという根底があります。これが日本の国の根幹のカタチで、これを「国体」 と言います。そして政治体制、つまり「政体」は、その国体の中にあります。ですから、政体が変わっても、国体は変わりません。むしろ国体を維持するため に、ドラスティックに政体をアップデートすることが可能な組織が、日本という国家の特徴なのです。
やはり、これを教えない教育は完全に狂っています。世界に誇れるシラス国を世界に広めることこそ日本がやるべきことだし、世界もそれを待っているはずです。
それをやらない日本の教育界はもうどうにもならないのかも。
ねずさんが教えてくれた日本の歴史で驚いたものの一つが鎌倉幕府でした。権威と権力の分離という日本の国体の本当を初めて知ったものです。
判官贔屓の日本では嫌われ者の頼朝の凄さを知って驚きました。日本の国体を確率した時と言っても言い過ぎじゃないでしょう。
今回のねずさんが取り上げてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/10/09
鎌倉幕府の成立とおほみたから
「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」
子供の頃、年号の暗記で、このように記憶した方は多いかと思います。
鎌倉幕府の成立といえば、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた1192年がそのはじまり、と私たちは学校で教わりました。
ところが近年の学校の教科書では、鎌倉幕府の成立を1185年、つまり源平合戦で壇ノ浦の戦いが行われた年が鎌倉幕府の成立だと教えているのだそうです。
どこぞの在日系の学者が、彼ら特有のファンタジー史観で「歴史を書き換えた」ものの一環ですが、まったく日本の歴史をわかっていない馬鹿者の行いと断じさせていただきます。
なるほど源頼朝は、平氏のように朝廷に拠らず、鎌倉幕府という新しい武家政権を樹立しまし、この時代における国内最強の武士団を保持していましたが、朝 廷そのものの打倒などは露ほども思わず、天皇から、天皇の部下である征夷大将軍に任命していただき、またそうすることで天皇によって政権の正統性を承認し てもらっています。
このことは頼朝が、天皇を国の中心とした聖徳太子の国作りの大方針を継承したということです。
そしてこの後、700年ほど続く武士の政治が、すべてこの方針を継承したことによって、日本は世界に類例のない国家の姿を今日まで伝えています。
そしてこのことは、我が国が武力による革命で、新しい王朝や国家を樹立したChinaや西洋のやり方を完全否定したことを意味します。
つまり頼朝の行動は、武家政権の樹立を、よその国々のような新国家樹立のうような形をとらず、あくまで政権交代の枠組みを保持したというところに、大きな意味があるのです。
つまり、鎌倉幕府の誕生は、実は、日本の国のカタチを学ぶ上で、とても重要な意味を持つものです。・・・中略
総理と天皇とどちらが上かというのなら、明らかに天皇が上です。
鎌倉幕府もこれと同じです。
源頼朝は、天皇から征夷大将軍に任じられて、そこではじめて全国の武士に号令する権限を得たのです。
全国には、様々な豪族集団があり、それぞれに武士団を形成していました。
けれどその武士団は、日本の武士団である限り、そのひとりひとりは天皇の「おほみたから」です。
従って、全国の「おほみたから」に号令する権限は、天皇から武家の頂点としての征夷大将軍に任じられて、はじめて、それが可能になるのです。
日本に住みながら、日本人でない人たちには、この理屈がわかりません。
わからないというより、自身が権力者となりたい欲望が強すぎて、見えなくなっているのかもしれません。
いずれにしても、日本の歴史を理解しない、それは曲学阿世の徒というべきであろうと思います。
この素晴しいシラス国がどうしても許せない隣国が日本の教育を操って嘘を教えようとしているのには本当に腹が立ちます。
それに操られる戦後利得者達の情けなさこそが正に売国奴です。どうして、そこまで日本が嫌いなのでしょうか。やはり、戦後教育による洗脳にやられているのでしょう。本当に哀れな人達です。
ねずさんのお陰で何にも知らなかった私も日本の素晴しさを知ることができました。
もし、この素晴しさを知らずに日本を嫌いなままであの世に行っていたと考えると恐ろしくなります。
やはり、戦後の日本の教育界の罪は余りにも大きい。GHQの圧力に逆らうこともしなかったところに日本人の弱さを感じずにはいられません。
「日心会公式チャンネル」がねずさんの説を取り上げてくれています。
「むすび大学チャンネル」で、ねずさんも話してくれています。
「日心会公式チャンネル」が、日の丸も取り上げてくれています。
それにしても、ねずさんの活動には感謝しかない。もし、これらを知らずに寿命を追えていたらと恐ろしくなります。
ねずさんが教えてくれたシラス国も多くの日本人が知るようになったのじゃないかと喜んでいます。
それを動画で、「日心会公式チャンネル」がアップしてくれています。こういう動画が増えてくればもっと知る人が増えてくるのじゃないでしょうか。
こうした動画が英語などで世界に広まる時代が来て欲しいものです。それより日本語が世界共通語になった方が広まるのは早いのかも。
それにしても、シラス国を造り上げた我が先人は本当に凄い。それを忘れさせられた戦後の日本は本当に情けな。なんとしても、日本を取り戻したい。
ギリシャ神話の荒唐無稽を楽しんで読んだものですが、その残酷さに気が付いたのはネットのお陰でした。
これもねずさん達が教えてくれたものだったと思います。当然日本と世界の違いなど知らなかっただけに知ったときは驚きしかなかった。
これぞ、シラス国とウシハク国の違いなのでしょう。
ねずさんが今回もその違いを取り上げてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/09/02
ギリシャ神話が西洋の神話となった理由とは
・・・略
欧米の映画やテレビ番組を観ると、毎度出てくるのがギリシア神話の世界です。
ギリシャ神話は、紀元前15世紀頃に遡(さかのぼ)る物語、つまりいまから3500年ほど昔の神々の物語です。
その物語を2800年ほど前に吟遊詩人ホメロスが「イーリアス」や「オデッセイア」などとして語ることで、広がったとされます。
けれど、不思議に思いませんか?
ギリシャの神話が、どうしてヨーロッパの主だった国々の神話になっているのでしょう。
神話というのは、民族ごとに成立していたはずのものです。
それがどういうわけかギリシャ神話が西欧の基本となる神話となっている。
実はこのことには、モンゴルの大帝国が関連している・・・というのが今回のお話です。・・・中略
いずれにせよ、少々難ありといえども、神話や歴史が、民族ての誇りを育くみます。
そして神話は、何が正しくて、何が間違っているのかという美意識や物事の正邪や善悪の判断の根幹となるのです。
戦後の日本は、昭和20年(1945年)にGHQによって神話教育が禁止されました。
その禁止事項を、戦後78年も経過して、いまだに日本政府は守っています。
律儀という面では素晴らしいかもしれませんが、日本人としてのアイデンティティを失うことは、とても残念なことです。
このことについて、文科省を責める声は度々あがりますが、文科省は行政のお役所ですから、法律や通達で決められた範囲の仕事しかできません。
そしてその決まりが、神話教育の禁止であれば、文科省の役人がどれだけ個人としては復活を願っていたとしても、復活させることはできません。
では、昭和20年の神話教育禁止の通達を廃止して、神話教育を行うことを意思決定するのは、どこでしょうか。
それは立法府である国会の仕事です。
行政はルールを守るところ。
国会は、そのルールそのものに変更を加えるところです。
その国会における議員が、「文科省が悪い!」などと言っているようでは、何も変わりません。
議員が、ひとつの思いを実現しようとするなら、同じ意見を持つ議員の仲間を集め、勉強会を開催し、仲間の議員の数を過半数にしていくことで、はじめてそれを実現することができます。
それが議会制民主主義です。
面倒な仕組みと思う方がおいでかもしれませんが、もともとの日本的仕組みなら全会一致です。
全員の賛同が得られるまで、変えることができない。
それから比べたら、過半数の賛成だけでなんでもできてしまう現代日本のしくみの方が、よほど楽といえるかもしれません。
大切なことは、誰かを犯人扱いして責めることではありません。
同じ志を持つ仲間を集め、みんなで勉強し、合意の形成を図っていくことです。
それは、いつの時代でも変わらぬ大切なことです。
ことは、そうした合意の形成です。
「確(かた)ク神州ノ不滅ヲ信シ(じ)
任(にん)重クシテ道遠キヲ念(おも)ヒ
総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ」とは、昭和天皇の終戦のご詔勅です。
そのお言葉通りに、謙虚に進むことが、我々臣民の道であると信じています。
GHQはこの違いを知っていて日本から神話を取り上げたのでしょうか。何とも恐ろしい奴等です。
それをあっさりと受け入れたお人好しの日本人の情けなさに今更ながらがっかりします。
やはり、日本人は一日も早く目覚めて素晴しい日本を取り戻す必要があります。
今の日本の政治を見ていると民主主義が本当に良いのだろうかと思わざるを得ません。
シラス国という最高の民主主義を作り上げてきた日本のこの劣化は本当に残念です。
とは言え、それでも世界では増しな方なのでしょう。
その凄さをねずさんが取り上げてくれています。やはり、日本のシラス国の素晴しさを何としても取り戻したいものです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/08/31
合意の形成
・・・略
議会制民主主義において、いちばん大切なことのひとつが、この「合意の形成」です。
議員は、ひとりでは政治はできません。
できるのは内閣への「質問」くらいです。
内閣への「質問」は、あくまで質問であって、要求や要請ではありません。
この点、誤解をしている人が多いようですが、内閣は質問に答える際に何か約束を口にしたとしても、それを実施しなければならない法的義務はありません。あるのは「公的記録に残る」ことによる社会的責任だけです。
ですから質問に対する答えは、政治でもなければ政策でもありません。
ただの「質問への答え」です。・・・中略
政治に関わるということは、「合意の形成」に関わるということです。
そして合意の形成を行う方法は3つしかありません。
1 カネや美人で買収する
2 暴力で脅す
3 自ら徳の高い人となって仲間を増やす
このうち、1と2が論外であることは論を待ちません。
そうであるなら、常に3を行い続ける必要があるのです。
「徳」という字は、「悳」の変形で、真っ直ぐな心で進むことを意味します。
政治家は、ある意味、民衆のリーダーです。
リーダーは、常に笑顔で、くじけず、真っ直ぐな道を進む。
そして、同じく真っ直ぐな心をもった他の議員さんたちと共同し、共闘して多数派を形成する。
それができてはじめて、世の中が動くのだということを、私たち選挙民もしっかりと自覚する必要があると思います。
あのどうにもならない日本の政治も民主主義以上の政体が確率出来ない限り仕方ないのかも。
やはり、もう一度シラス国を取り戻す必要がありそうです。
戦後にGHQによって消そうとされた日本の国体。団塊の世代の私などはその洗脳に見事におかされていた。
この戦後の昭和天皇の全国行幸などは全く知りませんでした。これもネットで初めて知ったものです。
「世界が称賛する日本」が詳しく取り上げてくれています。
これこそがシラス国の真髄でしょう。これを知らずに育った情けなさに今さ灤河ら日本の教育の情けなさを思わざるをえません。
この精神を日本人が取り戻す日が来るでしょうか。それとも、このまま崩壊するのか。それだけは何としても防ぎたいものです。
昭和天皇とマッカーサーの話は何度読んでも感動させられます。つくづく素晴しい国産まれたことを思い知らされます。
ネットのお陰で、このことも多くの日本人が知ることになったのもありがたいことです。世界に広まるのも期待できそうです。
そうして、シラス国の素晴しさを世界が知ることになり、世界は変わることになって貰いたいものです。
今回もねずさんが取り上げてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとよ り 2023/08/17
マッカーサーを心服させた昭和天皇
・・・略
マッカーサーは驚きました。
世界中、どこの国の君主でも自分が助かりたいがために、平気で国民を見捨てて命乞いをし、その国から逃げてしまうのが、いわば常識です。
ところが陛下は、やれ軍閥が悪い、やれ財閥が悪いという当時のご時勢下にあって、「一切の責任はこの私にあります、絞首刑はもちろんのこと、いかなる極刑に処せられても」と淡々と仰せになられたのです。
マッカーサーは、咥えていたマドロスパイプを、机に置きました。
続いて椅子から立ち上がりました。
そして陛下に近づくと、今度は陛下を抱くようにしてお掛けいただきました。さらに部下に、
「陛下は興奮しておいでのようだから、
おコーヒーをさしあげるように」と命じました。
マッカーサーは今度はまるで一臣下のように掛けていただいた陛下の前に立ちました。
そこで直立不動の姿勢をとりました。
「天皇とはこのようなものでありましたか!
天皇とはこのようなものでありましたか!」
彼は、二度、この言葉を繰り返しました。そして、
「私も、日本人に生まれたかったです。
陛下、ご不自由でございましょう。
私に出来ますことがあれば、
何なりとお申しつけ下さい」と言いました。…中略
その昭和天皇の辞世の御製です。
やすらけき世を 祈りしも いまだならず
くやしくもあるか きざしみゆれど
この御製は昭和六十三年八月十五日に陛下が全国戦没者遺族に御下賜遊ばされたものです。
「安らかな世をずっと祈り続けたけれど、
それはいまだなっていない。
そのことが悔しい。
きざしはみえているけれど、
そこに手が届かない」
という意味と拝します。
昭和天皇は崩御される直前に、「悔しい」と詠まれておいでなのです。
どこまでも国民のためを思うご生涯を遂げられた昭和天皇の思いに、わたしたちは日本国民として、ちゃんと答えているのでしょうか。
この昭和天皇の心を政治家や財界人が理解して実践してくれれば日本は再生されることでしょう。
その為にも正しい国家観と歴史観を持たせる教育が急がれます。
終戦の日に毎年放送される玉音放送にもも日本人を洗脳する意図があるようです。
ねずさんが「むすび大学チャンネル」で教えてくれています。こうやって戦後日本人は気が付かない間に洗脳されてきたんですね。
やはり、教育とマスメディアは恐ろしい。特に、日本人のように民度の高い人達には効き目があるようです。
これこそが、シラス国の弱点と言えそうです。その弱点を認識して、内外の使い分けをすべきことを知らなければならないのが日本人でしょう。
本当の教育を受けないと完全に洗脳される恐ろしさに今更ながら恐ろしくなります。
やはり、基本は教育とマスメディアです。油断すると見事に洗脳されることが良く解ります。結局は、日本人が目覚めるしかないのです。
ギリシャ神話のスケールの大きさに子供の頃は感動したものでした。そのくせ、日本の神話は殆ど知らなかったし、何となく面白くないように感じていたように思います。
ところが、ねずさんが日本の神話の凄さを教えてくれています。何と言っても、日本の女性を大事にする心には感動です。
この素晴しさを日本の女性は認識すべきです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さんのひとりごとよ り 2023/08/11
アダムに支配されたイブ、対等な関係を築いたイザナギとイザナミ
:::略
男女に限らず、人は物ではありません。
人は、人であることによる尊厳を、男女を問わず認められるべきものです。
もちろん様々な宗教の信仰を否定するものではありません。
旧約聖書も、世の中の秩序を定めるという意味において、人類史に果たした役割は偉大なものです。
そしてルールは人類が社会共同生活を行ううえにおいて、とても重要なことです。
「親しき仲にも礼儀あり」と言います。
我々は、他国の持つ文化の偉大さを理解するだけでなく、我々が日本人であること、そして日本に奥行きの深い文化があることも、同時にしっかりと学び、生き、後世に伝えていく必要があります。
そしてそのことは、我々が日本人としてのアイデンティティを確立するうえで、とても大切なことです。
アイデンティティというのは、よく自己同一性などと訳されますが、それだと意味がよくわかりません。
日本語で最もニュアンスが近いのは、むしろ「国体」であり「らしさ」です。
日本人のひとりひとりが、胸に日本の国体を刻み、日本人らしく生きようとすることが常識化する。
このことこそ、日本の未来を、そして世界の未来を拓く鍵となります。
このようなことを申し上げると、すぐに右翼だ、日本は世界征服を狙っているのだなどと囃し立てられますが、そうではありません。
そもそも右とか左とか、物事を「ゼロ」か「イチ」かで捉えようとすること自体が誤りです。それは共産主義的な考え方です。
世の中には、ゼロとイチ以外に、ニもあればサンもあるのです。
また世界征服でもありません。
日本はそもそも庶民文化の国です。
普通の庶民が、豊かに安全に安心して暮らすことができる、よろこびあふれる楽しい国を歴史を通じて希求してきた国です。
そしてこのことは、万国共通の人の世の幸せであろうと思います。
こうした発想が必要なことは、もし47が世界制覇を実現したら、もし5リアが世界制覇を実現したらと考えたら、すぐにわかることです。
日本人は、支配されることを嫌います。
一寸の虫にも五分の魂があるからです。
特亜3国どころが世界と比べても日本の女性を大切にする心は格別です。これこそが、日本が誇り、世界に広めるべき心です。
シラス国という日本の素晴しい国体を初めて知ったのはねずさんのお蔭であることは何度も書いてきました。
それにしてもシラス国は本当に素晴しい。こんな最高の民主主義を造り上げて来た日本の凄さに改めて感動させられます。
今回も、ねずさんが書いてくれています。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねず さん のひとりごとより 2023/07/08
大人たちの責務
・・・略
***
国家最高権威者が国民を最大の宝物と考えることが政治的にどのような影響を与えるかは、その国の政治体制や文化、歴史的背景などによって異なります。
一般的に、国家最高権威者が国民を重視することは、以下のような影響をもたらす可能性があります。
1 国民の利益が政策の最優先事項になる
国家最高権威者が国民を最大の宝物と位置づけることで、政府の政策決定において、国民の利益が最優先事項となる可能性があります。
これにより、政府の政策や行動が国民の幸福と繁栄に直結するようになり、国民の信頼を得ることができます。
2 政治的安定が促進される
国民を最大の宝物とすることは、国民に対する配慮が強まることを意味します。
政治的には、国民が政府に対して信頼を持つことで、政治的な安定が促進される可能性があります。
政府の政策が国民の利益に沿っていると認識されることで、政府に対する支持が高まり、社会的な不安定要因が減少する可能性があります。
3 政府のレベルが上がる
国民を最大の宝物と考える国家最高権威者は、政治家や政府の職員にも同様の配慮を求める傾向があります。
そのため、政府のメンバーや公務員が国民の利益を最優先事項とすることで、政府のレベルが向上する可能性があります。
4 国際的な信頼性が高まる
国民を最大の宝物と考えることは、国内のみならず国際社会においても重要な価値観です。政府が国民を最優先事項とすることで、国際社会においても信頼性が高まり、国際的な協力関係や外交交渉において有利に働く可能性があります。
以上のように、国家最高権威者が国民を最大の宝物と考えることは、政治的に多くの良い影響をもたらします。
***
日本は、世界最古の国であるとともに、人類史上最も進んだ社会を築いたネイション国家です。
そのネイションと、日本のステイトを一致させていくこと。
これを一滴の血も流さずに実現していくこと。
それが、現代を生き、そして子や孫たちの未来に責任を持つ大人たちの責務です。
今の政治家達にこのシラス国を理解している者がどれくらいいるのでしょうか。きっと殆ど居ないのでしょう。
詰まりは、正しい国家観も歴史観も持たない奴等が殆どということです。それどころか、特亜3国の為に働いている奴等がうようよしているのでしょう。
これで、日本の政治が良くなる訳はないですね。もちろん未来に責任を持つ奴等が居るとは思えません。
やはり、国民が目覚めて日本の為に働く政治家を選ぶしかないのです。
日本には17条憲法という素晴らしい憲法があります。その日本にアメリカが押し付けた最低の元憲法を70年以上後生大事に保持している日本は本当に情けない。
日本が取るべき道は現憲法を廃棄して17条憲法や五か条の誓文に戻すことでしょう。
とは言え、現在の政治家にその気概があるとは思えないのが残念です。
何時ものようにねずさんがかいてくれた今日のブログを読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2023/06/26
十七条憲法の誤解釈を斬る
・・・略
つまり十七条憲法は、あくまで上下の身分を越えて顔を合わせて議論することの大切さと、そのためのルールを定めた憲法なのです。
ただ単に「和を以て貴しとなせ」というだけではない。
それにそもそも「和を以て貴しとなせ」というのなら、なぜ「和」が大事なのかの理由が明確にされていなければなりません。
その理由を明確にしないで、単に頭ごなしに「和が大事」と述べているのが憲法だというのなら、それではただの教条主義であり、どこかの新興宗教と同じです。
そうではなく、まず冠位十二階があり、身分の上下を明確に定めたうえで、十七条憲法においては、その身分の垣根を越えて、互いに心を開いて議論しましょう。
そうすることで我が国は間違いのない、あるいは少ない、国になることができるのだ、ということを示したのが十七条憲法であるわけです。
これは五箇条の御誓文の第一「広く会議をお越し万機公論に決すべし」と同じことです。
日本人は、ただ和を大切にするというだけの民族でもなければ、国家でもありません。
常に天然の災害に囲まれている日本では、その事前事後の対策のため、常にみんなとの合意の形成こそが大事とされてきたのです。
それにしても、凄い国です。この凄い国が押し付けられた出鱈目憲法の改正も出来ないのは余りにも情けない。
今の日本人には先人に向ける顔が無い。まさに、恥知らずです。