団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★身分を返上した武士や貴族

2024年01月31日 | 誇れる日本

 明治維新は日本にとっては功罪半ばのような気がしていましたが、日本だからこその素晴しさも発揮していたようです。
  武士や貴族の身の処し方がウシハク国の西欧とは違ったようです。これこそがシラス国の凄さと言えそうです。

  ねずさんが教えてくれています。何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。  
  ねずさんの学ぼう日本   2023/01/29

  身分を返上した武士や貴族

  ・・・略

  左系の人は、いまも共産主義革命を望み、ゲバラを尊敬しているそうですが、ゲバラの行ったキューバ革命による死者は約22万人です。
しかもそのうちの約8割が一般市民です。
民衆のための革命といいながら、なぜ大量の民衆の命が犠牲になるのか。
普通の常識に従えば、彼は偉大な革命家ではなく、ただの殺人鬼です。

 ではどうして日本は、民衆の犠牲を伴わずに大規模な改革が可能だったのでしょうか。
その最大の答えは、我が国における改革が、常に「政権交代」の枠組みの中にあったという点です。
つまりロシア革命やキューバ革命、フランス革命、あるいはChinaの易姓革命のような、国の形が変わる革命を、我が国はしなくて済んできたのです。
それができたのは、我が国に天皇がおいでになったからです。

 日本の国の形は、はっきり申し上げれば「君主国」です。
頂点におわすのは、もちろん天皇です。
戊辰戦争においても、佐賀の乱でも、西南戦争でも、天皇の「おほみたから」という概念が根底において崩れていない戦いであったから、民衆の犠牲者はほぼ皆無に近く、どこまでも責任を持つ武士たちの戦いの枠組みを外れることがなかったのです。

 これは、我が国の天皇が古来政治権力を持たず、政治権力よりも上位の存在として民衆を「おほみたから」としてきたからこそ実現できたことです。
なぜなら、政治を担う者は、常に「天皇のおほみたからを支える立場」にあたるからです。
これによって民衆は権力者の私有民、奴隷、被支配民とならずに済んできたし、政治の枠組みの大改編に際しても、民衆の血を求めずに済んできたのです。

 これがわかると、天皇の存在を否定する人たちというものが、どのような思考に基づいている人たちなのかがはっきりと見えてきます。
それは「自分が世間の、あるいは社会の支配者になりたいというきわめて幼稚な思考しか持たない人たち」です。
なぜなら、「国家最高の存在は権力者でなければならない」という概念しか持っていないからです。
要するに外国かぶれです。

 明治維新にせよ、大日本帝国憲法にせよ、欧米列強という侵略者たちに立ち向かうために積極的に彼らの文化や軍事を採り入れざるを得なかったという時代背景のもとに生まれたものに過ぎません。
しかしその目的はなにかといえば、我が国の万年単位で続く、平和な国柄を、民をこそ「おほみたから」とする国柄を護るために行われたものです。

 従って、明治以降に生まれたものが、必ずしも正しいものではないことになります。
なぜなら、欧米で生まれた大航海時代以降の西洋文明は、支配と隷属、一部の者の利益のみを重視する文明にほかならないからです。
彼らは、キリスト教を信仰しますが、キリスト教の教えは、民を子羊として慈しむものであると聞きます。
そうであれば、なぜ、その民が犠牲になり続ける政治体制がいまも続くのでしょうか。

 現代の常識を、あらためて日本の歴史から眺めてみる必要の理由が、ここにあります。

  やはり維新は日本ならでのものだったようです。ウシハクの世界には出来なかったことは間違いなさそうです。
  やはり、日本は素晴しい国です。


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