古事記の蛭児の話は初めてねずさんに教えてもらった時には驚きました。正に、男女関係というか人間としての根幹とも言えるものじゃないでしょうか。
ところが、何と、日本書紀では蛭児は最初の子ではないのだそうです。何だか混乱してしまいます。
その辺りをねずさんは長い日本の歴史の中では誤差の内と書いてくれています。これも面白い考えですね。
何時ものように全文をリンク元で読んでください。
ねずさんの学ぼう日本より 2021/09/25
日本書紀講義7 月神、蛭児、素戔嗚尊の誕生
・・・略
▼万年の記憶
日本書紀は、まず天照大御神がお生まれになられたたあと、月神、蛭児(ひるこ)、スサノヲの順で生まれたと書いています。
これは古事記に馴染みのある方からすると、すこし違和感をおぼえるところかもしれません。
図示すると次のようになります。
『古事記』
水蛭子(ひるこ)、国生み、神生み、天照大御神、月読神、須佐之男神
『日本書紀』
国生み、神生み、天照大御神、月神、蛭児(ひるこ)、素戔嗚尊
このように順番に誤差が出るのは、こうした数千年《もしくは万年》の単位の古い歴史の物語にはよくあることで、ひとことでい えば、とても古い時代のお話であることを象徴しているといえます。
両者に共通しているのは「ヒルコを船で流した」という記述で、
『古事記』は「葦船(あしのふね)で流し去る」とし、
『日本書紀』は「天磐櫲樟船(あめいはのくすのきのふね)に載(の)せて、風に順(まかせ)て放棄(うちすて)ぬ」と書いて います。
葦船(あしぶね)はヨシズなどに使われるアシでできた船、
天磐櫲樟船は、クスノキでできた櫂(かい)《オールのこと》付きの丈夫な帆船を意味します。
ちなみに我が国では三万八千年前に、伊豆から沖合57キロの海上に浮かぶ神津島まで船で往来していたことを示す石器が沼津や 長野で発見されていますが、波が荒くて潮流の強い外洋で、この距離を丸木舟で往復することはできません。
しかも帰りには大量の石を積載して航海するのです。
そしてこうした航海を実現するには、いまでも南洋の人々が用いているアウトリガー付きの帆船(映画『モアナと伝説の海』にも 登場していました)が用いられていたのであろうといわれています。・・・以下略
それにしても、日本の歴史がこんなに長いことに改めて日本の素晴らしさを思わざるを得ません。
これを教えない日本の教育は完全に狂っています。それを放置している政治の怠慢も許せるものではない。
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