ねずさんが神は乗り越えられる人にしか試練を与えないと教えてくれていますが、その言葉はChinaのものだそうです。
ところが、その考え方は全く違うようです。やはり日本はChinaとは比べ物にならないものがあるようです。
何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。
ねずさんの学ぼう日本より 2023/05/31
我を捨てる日本的思考
・・・略
要するに天が大事を人に任せようとするときには、必ずその人を奈落の底に突き落として厳しい試練を与えるのだ、というのです。
ここから、「試練は乗り越えられる人にしか訪れない」といった言葉も生まれています。
この言葉から勇気をいただいたという人も多いのではないかと思います。
ただし!
この言葉はチャイナの言葉という点に注意が必要です。
どういうことかというと、主役が「自分」なのです。
自分に対して天が大きな任務を与えているから、試練があるのだ、というわけです。
そこに「オレが、オレが」の精神があります。
自己中なのです。
日本の古くからの考え方は違います。
自分が主役ではなく、あくまで神々の御心が中心になります。
どういうことなのか、日本書紀の神武天皇の物語から拾ってみます。・・・中略
生きていれば、楽しこともあるけれど、嫌なこと、つらいこと、悲しいこと、悔しいこと、どうにもならない忸怩(じくじ)な思いも、たくさんあります。
いやむしろ、つらいことの方が、はるかに多いかもしれない。
けれど、人生を振り返ってみれば、そんなつらいことや悲しいこと、悔しいことがきっかけになって、新たな気付きをいただき、成長し、現在の自分がある。
神々のなせる御業(みわざ)に、不要なものなどひとつもない。
すべてが関連し、つながり、そのなかを誠実に生きることだけが、自分の未来を開き、日本の未来を築く。
ここに日本的精神の根幹があるのだと、そういうことを、神武天皇の撤退の物語は伝えているのです。
このことは、結果からみれば「天のまさに大任をこの人に降(くだ)さんと」したものなのかもしれません。
けれど、だからといって、そこで「オレに天が大任を与えようとしているのだ」と、「オレがオレが」になってしまってはいけないのです。
なぜなら神々の御心は、果てしなく広く、深いものであるからです。
そしてこのことは、いまから2683年前の神武天皇のお振る舞いが、以後の日本の発展と、私たちの命にそのまま繋がっていることに思いをいたすとき、たしかなものとして、私たちの前に、その凄みを見せてくれるのです。
やはり日本は素晴らしいですね。その心を忘れされた今の日本人に日本を再生させることは出来るでしょうか。
この素晴らしい日本に生まれた幸せを噛み締めて目覚めることが必要があります。大丈夫でしょうか。
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