団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★北海道を守った占守 島(しゅむしゅとう)の戦い

2021年09月07日 | 誇れる日本

 この占守島の戦いも全く知りませんでした。如何に戦後日本の教育界とメディアが異常だったかの証拠ですね。
  先人が日本を命懸けで護ってくれたことを絶対に知らせないなんてことがまかり通る日本の異常さにあきれ果てます。
  それでもネットの御陰で、1日、第2830回の「★やっと樋口季一郎さんが知られるようになって来た」等で取り上げて来たように少しずつ知られるようになってきていることは未来に希望が持てます。
  これも、ねずさん達の御陰と感謝するしかない。

  この占守島の戦いも何度もアップしてくれていますがやはりこの継続こそが大事でしょう。何としても、国民が当然のごとく知っていて欲しいことです。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。

  ねずさんの学ぼう日本より     2021/08/29

  北海道を守った占守 島(しゅむしゅとう)の戦い

  ・・・略
 しかし占守島にいた日本人約二万五千名は、武装を解いた後、上陸してきたソ連兵によって民間人を含めて全員が逮捕されまし た。
そしてシベリアに連行されました。

 シベリアに着いたとき、人数は五千名に減っていました。
途中で、理由なく殺されたからです。
生き残ってシベリアに抑留された人々も、寒さと飢えと栄養失調のために、約一割が亡くなりました。

 ところで、なぜソ連は、終戦の三日後になって占守島への上陸を強行したのでしょうか。
ソ連は、ヤルタ会談で秘密協定を結び、アメリカとイギリスから千島列島はソ連領にするという言質を得ていました。
しかしソ連はそうやすやすとアメリカとイギリスが、千島列島をソ連に引き渡すとは考えていませんでした。
ですからソ連は、力ずくで千島列島を占領してしまおうと考えたわけです。
日本が降伏したあとであっても、占領という既成事実さえ作ってしまえば、あとはどうにでもなります。

 ソ連は、占守島は一日で占領する計画でした。
小さな島なのです。
一日あれば十分と考えるのも無理はありません。

ところが占守島の日本の守備隊は、そうした彼らの目論見を見事に粉砕しました。
ソ連軍を殲滅しかけただけでなく、彼らを「一週間にわたり」、海岸に釘づけにしたのです。
実は、この「一週間」が、北海道の命運を決定付けました。
ソ連軍が占守島に釘づけにされている間に、アメリカ軍が北海道進駐を完了させたのです。・・・中略
 不思議なことがあります。
この占守島守備隊の活躍について、戦後の教科書は一切ふれていません。
まるであたかも「なかったこと」にしているかのようです。

 まれに占守島の戦いについて書いているものでも、この戦いを「無駄な戦い」「戦死者は犬死に」と一蹴しています。
実に不思議です。
それが同じ日本人の言う言葉なのでしょうか。
私には、そういう人たちの感性がまったく理解できません。

 占守島には、いまも当時の日本兵の戦車や遺骨、遺品が眠ったままになっています。
私たちは戦争で貴重な命を捧げられ、祖国を守るために立派に散っていかれた英霊たちに、あらためて感謝を捧げるとともに、 彼らに恥じない日本の建設をしていかなければならないのではないでしょうか。

 諸士、ついに起つときが来た。
 諸士はこの危機にあたり、
 決然と起ったあの白虎隊たらんと欲するか。
 もしくは赤穂浪士の如くこの場は隠忍自重し、
 後日に再起を期するか。
 白虎隊たらんとする者は手を挙げよ。

 池田聯隊長が士魂戦車聯隊の隊員たちへ向けたこの言葉が、私には、平成の世に生きる現代日本人への檄文に思えるのです。



  こうやって守られた北海道が反日売国左翼・在日・マスメディア共によって売られようとしていることからも戦後日本に仕掛けられた罠に慄然とさせられます。
  その中に、現役の総理も含まれているのですからやはり日本の危機は限界まで来ているということです。
  やはり、「いい加減に目を覚まさんかい日本人!」です。


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