団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★戸山伍長(とやまごちょう)と昭子(あきこ)さん

2020年07月31日 | 誇れる日本

 ねずさんが毎年アップしてくれる先人が我々を守る為に戦ってくれた大東亜戦争での凄まじさを読む度に、こんな方達が祭られている靖国を参拝しない日本人は恩知らずの人としか言い様がない。
  安倍さん、この方達より遠慮する相手がいるのですか。これぞ本末転倒でしょう。一億2千万人の現在の日本人の命に懸けても参拝すべきでしょう。それが人間じゃないでしょうか。

  そんなねずさんが毎年上げてくれる話の一つが、2019年9月13日、第1913回の「★ラモウ守備隊玉砕の日」などでも取り上げてきた拉孟の戦いです。
  何度よんでも涙が出ます。と言うか、余りに申し訳なくて情けない。教育やマスメディアというのはここまで人間を劣化させることに改めて怒りを覚えます。

  何時ものように全文をリンク元で読んでください。
 
  ねずさんの ひとりごとより     2020/7/24

  戸山伍長(と やまごちょう)と昭子(あきこ)さん

  ・・・略

 拉孟(らもう)の戦いは、昭和19年6月から9月まで、ビルマと中国の国境付近で行われた壮絶な戦いです。
守備隊は最後の一兵までこの地を守り抜き、120日間という長期戦を戦い抜いて玉砕しました。
守備隊1280名のうち、300名はほとんど体の動かない傷病兵でした。
そして、そのなかに15名の女性たちもいました。

 遅いかかった敵は5万の大軍です。
是が非でも援蒋ルートを確保したい蒋介石が、国民党最強といわれる雲南遠征軍を拉孟に差し向けたのです。
それは米国のジョセフ・スティルウェル陸軍大将が直接訓練を施した米軍式の最新鋭装備の軍でした。・・・中略

  伊藤桂一氏の著作に屡々活写されています。

 彼女たちは戦いが始まるずっと前に、
「ここは戦場になる。
 危ないから帰れ」
と勧められていました。
けれど彼女たちは帰ろうとしませんでした。

 拉孟にいたら生きて帰ることはできないかもしれない。
けれど彼女たちは兵士たちと家族のように親しくしていました。
男と女の情が通っていたのでしょう。
だから彼女たちにとって、その場を離れるということは、肉体が生きていても心が死ぬことを意味したのです。

 無理に帰そうとすれば女たちは薄情だと怨む。
彼女たちは自分たちも守備隊の一員と考えていたのです。
こうして20名いた女性たちのうち、半島出身者の女性5名だけが先に拉孟を離れ、日本本土からやってきていた15人の慰安婦だけが戦場に残ったのです。・・・中略

 拉孟ばかりではありません。
遠く離れた異国の地で最後まで死力を尽くした男たちがいました。
女たちがいました。
過酷な戦場の中に咲いた一輪の花のような恋もありました。
こうした一つ一つが、決して忘れてはいけない私たち日本人の心なのだと思います。



    今年も、安倍さんは靖国参拝をしないのでしょうか。この方達に何と言い訳をするのでしょう。特亜3国やアメリカと言うか公明党がそれ程に怖いのでしょうか。

  やはり、二階・菅・公明党を切って次の選挙で日本を取り戻してください。それで勝てないような日本ならもう諦めて消滅を受け入れましょう。


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