団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★頑固一徹、小園 安名(こそのやすな)司令

2022年08月11日 | 誇れる日本

 ねずさんが紹介してくれる大東亜戦争の日本兵士の素晴らしさには何時も自分との差に恥ずかしくなるばかりです。
  特に、戦後の生き方にその凄さを見る方が多いようです。今の、劣化した日本人との最大の違いじゃないでしょうか。

  自分の手柄を誇ることもなくひっそりと生きるその生き方こそが日本人の最高の美徳じゃないでしょうか。
  やはり、こういう生き方をしたいものです。

  今回もそんな方を紹介してくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/08/05
  
  頑固一徹、小園 安名(こそのやすな)司令

  ・・・略

 それともうひとつ。
日本の社会では、実績があり誰からも慕われる偉人が、必ずしも幸運な晩年をすごすわけではない、ということです。

 小園司令は、数々の武勲をたてた空の勇者であり、大東亜戦争末期には帝都上空を守る最精鋭航空隊の司令に任ぜられるという優 秀さに加え、部下からもたいへんに慕われる、まさに「立派な帝国軍人」でした。
にもかかわらず小園司令は、戦争が終わると、こんどは逆に精神病患者という扱いを受け、拘束着を着せられ、刑務所に入れら れ、日本がサンフランシスコ講和で独立を回復してもなお1年、刑務所から出してもらえず、晩年は細々と農業を営み、静かにこ の世を去っていかれました。

 歴史をたどれば、土佐藩の改革に見事な実績を残した野中兼山、治水事業で実績を残した水戸藩の松波勘十郎、関宿藩の船橋随庵 も同様に、さみしい晩年を迎えています。
これはどういうことでしょうか。

 人は魂が、より偉大な魂となる訓練のためにこの世に肉体を持って生まれてくるものだというのが、縄文以来の日本人の考え方で す。
最近は、その考え方が、実は本当なのだということが、最先端の理論物理学の世界で、シミュレーション仮説として、有力になり つつあります。

 そうであるとするならば、この世での名聞冥利が問題なのではなくて、いかに生きたか、どう生きたかにこそ、魂としての価値が 有ることになります。
肉体に宿る魂は不滅なのです。

 小園司令について、戦後は賛否両論、というより否定論の方が強かったし、昨今では、小園司令の名さえも、消された歴史になろ うとしています。
けれど私は、小園安名という司令がこの日本にいて、国土防衛の柱として、見事その人生を捧げられたことに、最大の敬意と感謝 を捧げたいと思うし、日本人として誇りに思います。

 もちろん先日の「終戦の詔勅」の記事でご紹介しましたように、陛下のご決断と、そこに至る経緯は最も大切なことです。
その意味では、小園司令の行動は、必ずしも褒めた話ではないかもしれません。
しかし、褒める褒めないは、評価です。
その時代の人々にとっては、それぞれが真剣に人生を生きたのであって、それを我々後世の者が、あれこれと論評することは、そ れは傲慢というべきものです。
そうではなく、そこから何を学ぶか、こそが大切なのだと、私は思います。

 そもそも、命をかけるわけでもない、当事者でもない、その時代を生きてもいない、その後の歴史の結果も承知している者が、弾 も飛んでこないはるか未来から、あれこれと評価するということ自体が、腰抜けのすることであり、卑怯卑劣なことなのではない かと思います。

 評価ではなく、学ぶこと。
そして、頑固一徹な男こそ、日本男児と思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。



  頑固一徹はもう死語になっているのじゃないでしょうか。頑固一徹を貫く信念も持たないのが現代人じゃないでしょうか。
  そんな人生を送りたかった。


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