団塊の世代のつぶやき

誇れる日本を取り戻そう

★しっかり学ぶ「三大神勅」

2022年10月29日 | 国体・皇室・シラス

 一時は糖尿病の為に米を食べることを止めていました。これも米離れを画策するどこかの組織の企みじゃないでしょうか。
  何て、考えて暫く振りに夕食に米を食べてみてそのおいしさに愕然としました。こんなおいしいものを食べないのは余りにも勿体ないと、それ以後は夕食は米飯にしました。
  この歳で糖尿を恐れて米を食べないなんてバカなことをして寿命が少々伸びたところでどうってことないと考えて思いっきり米を楽しんでします。やはり、米は美味しい。日本人は米を食べるべきですね。

  ねずさんがそんな米の素晴らしさを書いてくれています。

  何時ものように全文をリンク元で読んで下さい。

  ねずさんの学ぼう日本より      2022/10/21 

  しっかり学ぶ「三大神勅」

  ・・・略

 《解説》
この斎庭稲穂の神勅によって、日本国中で栽培される稲は、ことごとく「天照大御神からの授かりもの」という位置づけになります。
つまり民(おほみたから)が栽培する稲は、そのすべてが天照大御神が召し上がられた稲の子ということになります。
私たちが毎日いただくお米は、高天原で天照大御神がいただかれるお米と同じお米です。
私たちの体は、そのお米によって育ち、生きています。

 「戸喫(へぐい)」という言葉があります。
同じものをいただくということは同じ仲間となる、共同体の一員となるという意味の言葉です。
神社などで、参拝のあとに「直会(なおらい)」といって、奉納したお米や作物などを、みんなで一緒にいただきます。
これもまた、そうすることによって神様と心を通じあうための神事です。

 このご神勅によって、全国でお米を栽培する民は、高天原の稲を栽培する人々という位置づけになります。
だからこそ、民は「おほみたから」という位置づけになります。
近年では、お百姓は収奪されていたなどという、とんでも説がまかりとおっていますが、国家としての農家への認識は、斎庭の稲穂を栽培するという大事を行う宝であったのです。

 最近では、縄文食に帰れという言葉をよく聞くようになりました。
宇宙食だの、未来食だのと言われますが、万年の単位で営まれた縄文由来の我が国の食文化は、やはり日本人の肉体に最も適しているのであろうと思います。

 いま西欧では、既存の農業を壊滅させて人工食に切り替えようとする動きが本格化しています。
けれど、人の肉体は、その人の霊(ひ)の乗り物です。
果たして宇宙食や人工食で、人の体の健康が保持できるのでしょうか。

 これまで、食べ物は栄養学的な存在とされてきました。
人は食べ物から栄養をいただいている、とだけ解釈されてきていました。
けれど本当にそれだけでしょうか。

 敏感な資質の子供は、何も知らなくても牛肉などを食べると、その牛が殺されるときの死の恐怖が感染して泣き叫ぶといった症例が報告されています。
もしかすると、食べるということは、その食物の栄養素だけではなくて、その食物の持つ何らかの振動を受け取るということなのかもしれないのです。

 だから、愛情深く育てられたお野菜をいただくと、味の良さもさりながら、心があたたかく、またかろやかになります。
機械的に合成されたものばかりをいただいていると、人が暴力的になることは、米国の刑務所の実験などで実証されていることです。

 我々がいただくお米が、天照大御神から授けられた愛の産物なのだという自覚のもとにお米を育て、そのお米を、そうした自覚のもとにいただく。
そうすれば、誰もが、いまとは一味違った幸福感を、ご飯からいただくことができる。
そういうことを、この御神勅は教えてくださっているのではないでしょうか。



  やはり、米飯こそが日本を救うのは間違いないでしょう。米粉を小麦粉の代わりに使うという最高の食料自給の可能性があります。
  やはり、米とメタンハイドレートによる食料自給とエネルギー自給こそが日本の目指すべき方向でしょう。


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