◇東京暮色(1957年 日本 140分)
監督/小津安二郎 音楽/斎藤高順
出演/原節子 笠智衆 山田五十鈴 有馬稲子 宮口精二 藤原鎌足 浦辺粂子 杉村春子 山村聰
◇小津版エデンの東
キネ旬19位とはおもえないがそれでもまだ健闘したのかもしれない。
有馬稲子が情夫を訪ねてゆくのは大崎広小路の相生荘というところなのだが、東急池上線、当時から高架なのね。有馬稲子の情夫どもの溜まり場になってる満洲チャムス帰りの山田五十鈴と中村信郎の営む雀荘は『壽荘』で荘、荘と続く。原節子の旦那は岸欣三なんだか、ウヰスキーをショットグラスで呑み、日本のウヰスキーも善くなりましたねという。なるほど、そういう時代なのね。
ちなみに、有馬稲子が深夜喫茶にいるのを宮口精二に補導され、原節子が身元引き受けに行ったとき「申し訳ございません」という。そうか、このまちがった日本語は「申し訳ない」の小津調のいいまわしだったのか。そのあと、家に帰ると笠智衆が炬燵に入ってるんだけど、原節子が「あら、まだ起きてらしたの?」と尋ねる。そうか、い抜き言葉も小津調だったのか。
してみると、この辺の言葉回しは戦後の山の手言葉といえるんじゃないかな。
有馬稲子が堕胎するために手術室に入ってゆくんだけど、場面が変わると最初のカットが出戻ってきた原節子の二歳の娘になってる。狙いどおりの繋ぎだね。そこへ有馬稲子が帰ってくる。気分が悪くなるがなにもしらない原節子は「どうしたの?風邪?」と訊く。蒲団を敷いてやるが、待っている有馬稲子の目にまた二歳の娘が入ってくる。有馬稲子は顔をおおって泣く。うまいなあ。
ここと有馬稲子の本当の母の山田五十鈴のところを原節子が訪ねてゆくところはさすが小津だ。
あ、それと、下村義平こと藤原鎌足がおやじになってる珍々軒でやけ酒食らって彼氏がやってきて頬っぺた叩いて飛び出して踏み切りに見いられて跳ねられたとき、それを店の奥からとその切り返し、さらに店の立てネオン看板を前傾姿勢に入れ込んだ踏み切りのロングだけで見せるんだけど、このあたりもほんとに上手い。
ただ、珍々軒から飛び出した有馬稲子が踏切に飛び込んで自殺をはかり、鎌足が「おい、なんかあったのかい」と駆け出していったとき、後に残された彼氏の前に練炭ストーブがあるんだけど、掛けられてるヤカンから蒸気が出てないんだよね。沸騰しててほしかったな。
ちなみに、踏切番が「小便に行ってる隙をついた」と証言するんだけど、このあたり、まったく時代を感じるね。
ところで、有馬稲子の死を原節子に知らされた後、居酒屋で「一本つけてちょうだい」という山田五十鈴なんだが、この人差し指を軽く延ばしたままお猪口をかたむける動作がなんともかっこいい。そこへやってきて「おい、どうした?」と隣に腰掛ける中村信郎がまた堂に入ってる。粋だな。
まあ、病院でも亡くなるところは見せず、山田五十鈴の店の前にやってくる喪服の原節子で語り、八つ当たりのように有馬稲子が死んだと告げ、お母さんのせいとだけいってさっさと帰る原節子の凄さと、そのあとひとりで居酒屋にいる山田五十鈴のところへ麻雀屋に落ちぶれていた中村伸郎が来てそれまで渋っていた北海道行きを承知し、さらにその旅立ちの日、花束を持って原節子を訪ね、別れの後、ひとり泣き崩れる原節子という一連の場面繋ぎは流石といわざるをえない。
それと、駅で列車に乗り込みながらも、原節子が見送りに来てくれるかどうか諦めきれない山田五十鈴と冷静な中村伸郞のやりとりから、結局、後ろ髪をひかれながらも自宅にいて笠智衆に嫁ぎ先へ帰る決意を口にする原節子というまったく安直さのない展開も悪くない。こうした非情ぶった展開は小津的な非情さで、リアリズムでもあるよね。