紅葉の時期が近づいてきた。京都は、あと1週間程で見頃になる。今年の秋は暑い日が多かったから、色づきを懸念する声もある。こんな話を書くとどうも辛気くさいのだが、紅葉名所は市内に大変数多く存在する。
私の家には、小さな坪庭はあるのだが、都心だから紅葉を楽しむほどの規模ではない。そこで市内の寺社の庭園を愛でることになる。都会暮らしの知恵というべきだろう。
もし我が庭で楽しみたいとすれば、郊外の庭付き戸建て住宅で丹念に庭の手入れをして、紅葉を楽しむことになる。最近、このように暮らし方の二極化傾向が顕著なのではないかと思われる。都心で狭いが利便性を享受するか、郊外で生活不便であるが自然を楽しむか、とする暮らし方とである。
現在、行政の都市政策上は、都心居住を目指している。当然その方が行政サービスのコストが低減だからだ。といって皆が皆都心に棲む必要はない。やはり世代やライフスタイルによって、棲家の場所は異なってくる。
こういう考え方ができるのは大体首都圏から西の気候温暖な地方である。ところで自然条件が過酷になると、集まって都心に棲まざるを得ない。そうしなければ過酷な冬を乗り切れないという地方もある。私は青森市でそれを痛感した。
京都・天龍寺,2007年
私の家には、小さな坪庭はあるのだが、都心だから紅葉を楽しむほどの規模ではない。そこで市内の寺社の庭園を愛でることになる。都会暮らしの知恵というべきだろう。
もし我が庭で楽しみたいとすれば、郊外の庭付き戸建て住宅で丹念に庭の手入れをして、紅葉を楽しむことになる。最近、このように暮らし方の二極化傾向が顕著なのではないかと思われる。都心で狭いが利便性を享受するか、郊外で生活不便であるが自然を楽しむか、とする暮らし方とである。
現在、行政の都市政策上は、都心居住を目指している。当然その方が行政サービスのコストが低減だからだ。といって皆が皆都心に棲む必要はない。やはり世代やライフスタイルによって、棲家の場所は異なってくる。
こういう考え方ができるのは大体首都圏から西の気候温暖な地方である。ところで自然条件が過酷になると、集まって都心に棲まざるを得ない。そうしなければ過酷な冬を乗り切れないという地方もある。私は青森市でそれを痛感した。
京都・天龍寺,2007年