Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

京都に棲む12.

2008年11月05日 | Kyoto city
 八坂の塔の見え方を続けよう。塔である以上誰しもが「仰ぎ見る」という経験はするだろう。通例塔の正面通りである八坂口からみる民家に挟まれた塔の風景が一般的なのだが、もう一つ塔自体が堂々とみえる場所がある。清水寺へ上がってゆく参道の、とある路地を入ると少し不思議な世界がある。ここを進むと写真のようにオープンに開けた空間があり、民家越しに「仰ぎ見る」という風景になる。路地をさらに進むと八坂口からの道と合流する。
 塔が、回りの何もない空間に突出したところが、威風堂々とした風景となっている。空間的に何もないということは、意外に重要な景観要素なのである。
 現代建築でも経験する日本人の習性として、壁が空いていれば張り紙をし、空間が空いていれば家具を置きたがる。とにかく隙間を埋めようとする習性には、辟易させられる。中国や東南アジアの風景を思い浮かべれば、そけはアジア人に共通する意識なのかも知れない。
 ところで環境や空間をデザインする立場での意識は、「引き算」なのである。阻害要因をできるだけ排除し、秩序と快適さを設えようと努力しているのである。ところが人間の思い出という意識は、多種多様なモノをまとわりつけて空間に入り込んでくる。結果として見事なというべき混沌とした空間がてきあがる。このようにデザインする立場と、利用する立場はいつも相反している。
 さて今日は、名古屋で展示会への出展などがあるので、ブログは休みます。

Fuji FinePixS5pro,DistagonF2.8/25mm

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする