機材の虫干しからNASの画像整理に手が及び、東京浅草寺のほうづき市を、1990年に再訪したときに撮影した画像をみつけた。
一眼レフがあれば二眼レフもある。今は売却した二眼レフ・ローライフレックス、レンズはツァイス・オプトン製のテッサーF3.5/75mm、銀座の三共カメラで35,000円で購入した中古機材だった。世に名高いPlanar付きでないところは廉価版で我慢。
思いだしたのが。横浜美術館の写真講座も終わる頃、若い20代の地味なお姉ちゃんがPlanar付きのローラスフレックスを調達した。ああっ、いい買い物をしたな。きっとアメリカのヴィヴィアン・マイヤーみたいに人間の生活を丹念に緻密な画像で記録してゆくんだろうなと見とれていた。ローライの二眼レフは、人生がキチンと記録できる撮影機材である。今人間は、そうした人生に立ち向かい緻密に記録できる機材を持っているだろうか。答えはノー。今は一発で消去されるデータでしかない。人間もその程度の生き方しかしていないのだろう。
レンズは紛れもなくツァイスの機材だから、ブログはZEISSの空気のカテゴリーで。
つまり当時の西ドイツのツァィス。冷戦時代に東西ドイツに分断されていた頃、名前の由来となるぐらいだから1950年代製造。ネガは6×6cmのスケアフォーマットだから万事余裕がある。なれると意外に画面構成がしやすい事に気づく。初夏の空気をだすために、あえてカラーフィルムのベースの色(オレンジ、反転させてグリーン)を少し残したままお古なブログ画像に仕立てている。
再訪と書いたが、最初は1980年前半、あの国立競技場のトレーニングセンターの女達とほうずき市に出かけた二十代後半の記憶が蘇る。もう40年前の話なので時候だろう。
私より背の高いタケというアウトゴーイングな女がいた。彼女は丸の内の大企業に勤めるOLだった。フランクで肩のこらない女だったし色気を感じないというのも面白かった。色気がなくてもあたりがいいのである。だから一発やっときゃよかった。そのとき、私は大学院へ進学しようと密かに決めていたので、その後タケとはすれ違っていった。もしつきあっていれば、きっと違う人生を歩いていたかもしれない。古い画像は、当時の記憶も記録されていたか・・・。
話が落ちたところで、明日からは「小説:小樽の翠」に戻ろう。小樽も秋が近づいてくる頃だ。
東京浅草寺
Rolleiflex 3.5C,Lense:Tesser75mm/F3.5,FUJI COLOR100