今日は、歩いてゆけるところで、秋の始まりの風景を描こう。
気象予報を聞いていると季節感がずれてくる。
例えば、梅雨前線が停滞している頃などは、まだ梅雨明けが待ち遠しいというのが人々の気分だが・・・。
それって違うね。実は、梅雨前線が被さっている地域を除けば、もう立派な夏なのだ。
だから夕方にわかに空がかき曇り雷鳴とともに激しい夕立がくる。
浮世絵師歌川広重が描いた「庄野宿」の突然の夕立が地面を激しく叩く季節は夏だったのだ。
広重は春から秋にかけて東海道五十三宿の旅したのだろう。
8月7日の立秋をすぎると、所によっては40°近い日が続き、雨の降らない熱帯夜が続く。
それはもう秋の始まりなのだ。
人々は残暑の最中にお盆を迎え、レジャーに繰り出す。
季節感からすれば不思議な現象だといえる。
だから旧暦が一番季節感を表している。
暦の上では秋、そして白露である。
ひとしきり描くともう3時をまわる。
街へでて、画材屋によって・・・。
午後の遅い時間だから明菜姉ちゃんが画材屋の親父と雑談している。
親父も美人は嫌いじゃないから、いい時間だと思っている。
当然空腹の明菜姉ちゃんにつかまり、隣のコロンビア珈琲でパフェのおねだりとなる。
明菜「秋に隣の画材屋さんがバーゲンするっていってたよ」
「毎年恒例のやつね」
明菜「アチキって買いだめしないの?」
「あっ、それ苦手!」
明菜「そんなのに苦手ってあるんだ」
「昔、ノート用の小さいスケッチブックを買って、携帯用の絵具も揃えて、絵を描こうと思った。それで夜行列車に乗って旅に出た。古い町へね。でっ、描こうとしたら描く意欲がなくなっていた。多分夜行列車の疲れが出て、絵を描く体力には及ばすだったんだ。そんな風に最初に形式を決めちゃうと、それだけで満足して、後は飽きるんだ」
明菜「じゃあ、描きたいときに、広告用紙の裏にでも描いちゃう派?」
「広告派かもね。スケッチブックや絵具もなくなったつど買いにゆくぐらいだから」
明菜「最初に、大仰に構えると、描けないんだ」
「気がついたら、絵を描いていた、が一番いいかな」
・・・
そんなふうに、いつもの時間が過ぎてゆく。
街には、いくつかのチャンネルがあって、どれかを選べば、いつも定番の人がいて雑談できる。
それは、田舎の暮らしと一緒のような気がする。
いつも決まった時間に近所の叔母はん達が集まって歓談している。
それが毎日の日課だ。
ここも小樽田舎!。
・・・
まだまだ夏の空気の残っている小樽だ。しかしそれも駆け足で秋になるだろう。