Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

ドローイング731.小説:小樽の翠643. ツカモッチャン先生とデッサンの話

2023年05月09日 | field work

 小樽のストリートで、ツカモッチャン先生と鉢合わせした。
小春や明菜や美希姉ちゃんなど7人の子供達を育てた。それに翠の息子のマサヒロ君も小学校の頃からツカモッチャン先生の美術準備室に居候させてくれた。もちろんその頃から美術の手ほどきを受けたぐらいだから、マサヒロ君はいまやデザイン事務所を経営するまでになった。
ツカモッチャン先生「この間大学の美術系の先生との交流会があってね。そこで大学の先生が今の学生達はデッサンを描かない傾向が顕著なんだって嘆いていたですよ。なんでも受験で実技試験科目を外すと突然志願者が増加するんだって」
「デッサンを描かない学生達が美大にきてどうすんだろうね?」
ツカモッチャン先生「私のように教員になるだけならいいでよ。でもクリエイションする意識まで失われたら芸術の人間じゃないですねぇー」
「クリエイションは。コンピュータがしてくれると思ってるんじゃないですか!?」
ツカモッチャン先生「デッサンが描ける能力があるからコンピュータもいじれると思うんですけどねぇー・・・」
「感性で判断する発想がないよね。建築なんか構造計算する前にこれなら持つとか持たないとか感性で判断する部分がありますね」
ツカモッチャン先生「感性を訓練するというのは学校教育では美術音楽ぐらいしかないですよ」
「日本は科学の教育を真面目に追究した。だから感性は邪魔だという発想かなぁー」
ツカモッチャン先生「科学だって感性の産物ですよ。宇宙がどうなっているかなんて数式で追求したその先に感性が働くんですから・・・・」
「デッサンの世界には、感性だけど論理があると思うんです。例えば裸婦が立ってポーズをしている。そのとき何を描きますか?、という話と同じです」
ツカモッチャン先生「僕なら水平の地面にモデルさんが垂直に立っている。だから安定している。その事実を描きたいですよね。それがデッサンでしょう。それ以外の表現方法や技術的な事は経験を積めば誰でも描けてくると思うんです」
「私も、そうだと思いますよ。それが社会では形どうのこうのとか色使いがどうのこのとか、全然関係ない方向へ指導するもんだから勘違いアマチュアを量産してるところがありますね」
ツカモッチャン先生「絵がうまいという言葉があるでしょう。小学校で絵がうまいと言われたら周りから尊敬されますよね。でもデッサンをしないで絵が描けるはずがない。それが勘違いの始まりでしょうね」
「世の中は、そんな勘違いがまかり通っているんですよ。それで大人になって絵がうまいというのが自信になっているところがありますよね。でもデッサンが出来る人から見たら、それは裸の王様みたいに恥ずかしい世界がまかり通っている」
ツカモッチャン先生「私も小学校の時から絵がうまいといわれていたので大学へいったら、画家の先生から『君は周りから絵がうまいと言われませんか?』そう質問されたんです。そしたら『君は勘違いしたまま人生を送りたいのですか?』といわれて私は、顔から火を噴く思いでした。私は、すっかり勘違いして絵を描いていたことに気がついたのです。それからデッサンを猛勉強しましたよ」
「あやうく勘違いのまま人生を過ごすところだった。でも世の中は器用な人が絵が旨いと言われて勘違いしたまま人生をすごしているようですよ」
ツカモッチャン先生「やはりデッサンを勉強しないと、何も解らないですよね」
(*^▽^*)
・・・
そんな話をしながらツカモッチャン先生は自宅へ帰っていった。
この人は、解っている人だな。だからツカモッチャン先生のところに入り浸っていた翠の息子のマサヒロ君が優秀なわけだ。そんな納得をして家路を急いだ。もう翠が帰ってくる頃だろう。
・・・
まだ山際に明るさが残る小樽である。
日が長くなった。
コメント
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