啓蟄のことばの意味は、寒さが緩んで春の陽気になってくることによって、土の中から虫たちが動き出す季節のことを指します。 「啓」という字はひろく、「蟄」は土の中で冬ごもりしている虫のことで、春を感じた虫や、冬眠していた生き物たちが続々と動き出す、そういう春を感じる言葉です。
そんなことばが似合うほど今日は、2月としては少し異例の暖かさであった。
そうなると映像のテーマも暖かさだというほど簡単には被写体が容易に現れてはくれない。私達の経験では、撮らずに人々の光景に思わず見入っていることがある。実は、それこそが映像化できる被写体だったりする。そこで気づき機材を回し始めるわけだ。
この日は雲一つない晴天だったし、夕陽が山の端に沈むところでも撮ろうと機材を固定して待っていたら、ストンと陽が沈んでしまった。撮りそびれたと思う頃には、夕焼け空が広がりチャンスを逃したわけだ。そんな具合に撮りそびれることはよくある。だから気を取り直して次の被写体を探すことにしている。つまり諦めが早く思いっきりの良さが不可欠だ。
つまり最後まで冷静でいた方が勝ちだ、ということを教訓にして、さて音楽は滅法明るい楽曲にしよう。
しかしもう冬は終わりかいというのに愕然としている。これじゃ雪の小樽なんかとても無理じゃん。これも撮りそびれる経験だろう。そうなるとなんでも早めに行動した方が勝ちだ。冬が来た。雪が降り始めた。ならばそれっ!、といってでかけるメディアの根性が必要だろう。つまり真っ先に駆けつける野次馬であってよい。真っ先に駆けつけ、そして真っ先にずらかる、やはりこの根性は必要だ。
気候変動激しい昨今、桜の見頃なんて具合に待っていては撮影チャンスを逃す。今後は情報を駆使して開花時期を予測し、そのために準備しておくぐらいの心がけでつとめようと思う。今日もそんなことを学んだ練習映像だった。
Fieldwork892. Kyoto,Keichitsu season 4K
SONY FX30,E18-105mm/F4.0 OSS