Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ708. 明治期小樽の街の姿は?

2024年04月22日 | field work

 小樽の街のイメージをGoogle Mapの解説から引用した。
「小樽市は石狩湾に面し、札幌市の北西に位置している北海道の港湾都市です。主にガラス工芸、オルゴール、酒蔵で知られています。1897 年に建てられた旧漁業施設である鰊御殿では、小樽市の歴史で漁業が果たした重要な役割をたどる展示があります。小樽運河沿いにある 1923 年に造られた旧倉庫街は、現在ではカフェやショップが並ぶモダンな地区に生まれ変わっています。」
 旧漁業施設、小樽運河、旧倉庫街、ガラス工芸、オルゴールという言葉は、大方の人間が理解している小樽のキーワードでしょう。WEB検索すると小樽の運河沿いの画像ばかりが検索される。はたしてそれが小樽のイメージだろうか?、とするおおいなる疑問を私はもった。まだ大方の人間が知らない小樽の街の姿があるはずだ!。というのも・・・。
 江戸期に北前線の寄港地であった小樽の街の近代化は明治期元年1868年に始まり、1872年郵便&電信事業開始、1877年量徳小学校をはじめ8箇所の分校が開設。1880年手宮-札幌間の幌内鉄道開通、1885年日本郵船小樽支店開設・・・と、街の近代化が明治の初めから著しい速度で進められ、当時の樺太やヨーロッパと港を通じてつながり、人流と物量の国際都市が明治の頃には完成していたからだ。
 そして小樽運河が完成し埋め立て地に倉庫群ができたのは、1923年(大正12)以降である。そう考えれば、運河や古い倉庫群といった大方の人間が抱く小樽イメージは大正期晩年、さらには昭和期のイメージである。従ってトップ画像の景観も昭和初期のものである。それでは街が成長を遂げた明治期はどうだったのか?。そこに私の関心がある。そこで明治期小樽の姿を探った。その考察過程と3DCGによるビジュアルな街の姿の一部は学術論文として公開している。
名古屋市立大学大学院芸術工学研究科編:芸術工学への誘い、三上訓顯「近代都市の魁け、明治期小樽の街並み」
私の研究論文は、すべて情報公開としている。従って1年以内に国立国会図書館に大学刊行の紀要本が納本されるし、あわよくばPDFでWEB上に公開されるだろう。

小樽市,2021年
NikonF3+MD4,ZEISS PLANAR50mm/F1.4,トライX
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